[掲載]2007年7月1日
■太陽・クリスタル…「一人一派」へ
自分史を思えば、「族」になりそこねた半生であった。中学生の時には暴走族、高校生の頃はサーファーの友人が少なからずいた。大学生になるとクリスタル族は遠い東京の出来事だと憧(あこが)れつつも傍観し、むしろニューウエーブやカラス族に親近感を覚えた。少し上のモラトリアム世代の気分も分かるが、新人類やおたくと呼ばれた少し下の世代の言動にも共鳴する。結局、どの「族」の成員になることもなく、青春時代を通過してしまった。
太陽族、みゆき族、フーテン族、アンノン族……。戦後の日本にはさまざまな「族」が出没した。その後も、おたく、渋カジ、渋谷系、コギャル、裏原系など、さまざまなサブカルが流行する。本書は内外の研究史を総覧したうえで、11のユース・サブカルチャーズを対象に、階級・メディア・世代・ジェンダー・場所という五つの視角から分析を加え、初の通史を試みる意欲的な研究書だ。
著者は、バブル景気に向かう狂乱した世相のなかでコピーライターとして活躍した。その当時、抱いていたサブカルチャーへの思いが、メディア研究の専門家となって再燃する。本書の出発点には、権力への対抗運動であったサブカルチャーが、いつのまにか「サブカルチャー立国日本」の起点として肯定されるように読み替えられた、今日の「サブカル観」への強い違和感があるという。
著者は「族」から「系」への変化に着目する。「○○族」として括(くく)られる文化は、ある場所に集う若者たちが互いに成員と認め合うことで自律的に形づくられた。60年代、戦争世代と戦後世代との埋めがたい落差を背景に、社会通念からの離脱を実践する「○○族」が輩出した。しかし80年代には、世代間の意識の違いも薄れ、豊かさのなかで若者の誰もが消費社会を謳歌(おうか)するようになる。若者文化は希釈され、ドロップアウトという「裏返しのエリーティズム」も忘却された。
「若者であること」だけでは、特別の意味をなさなくなったのだ。90年代に登場する「○○系」など、それ自体が若者の曖昧(あいまい)さを意味する近年のユース・サブカルチャーズは、ファッション雑誌やマーケティングの専門家がくだす託宣によって認知される。若者は、「個」であっても「孤」とならないために、メディアが続々と供給する細分化されたサブカルチャー群から音楽やファッションなどの嗜好(しこう)を獲得する必要に迫られる。
もはやいかなるユース・サブカルチャーズも既視感があるほどに、現代文化の一部として定位置を確保した。いまでは、「より微細な諸派――極端に言えば、一人一派――に分枝」した若者たちは、「リモコンでテレビの番組を切り替えるように、ケータイで繋(つな)がる相手を選ぶように」いくつものユース・サブカルチャーを着脱している。
筆者は「族」から「系」への大転換を見通して、20世紀後半を「ユース・サブカルチャーズの時代」と総括する。高齢化が進展する21世紀、果たして「○○系」を担う今日の若者たちは、「一人一派」のままに齢(よわい)を重ねてゆくことになるのだろうか。
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なんば・こうじ 61年生まれ。関西学院大社会学部教授、専攻は広告論、メディア史など。著書に『「広告」への社会学』ほか。
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