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書評

植物と帝国―抹殺された中絶薬とジェンダー [著]ロンダ・シービンガー

[掲載]2007年07月08日
[評者]山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学)

■植民地支配で知識が失われた謎追う

 万有引力やら二重らせんやら、なにか知識の起源はありふれた問いの対象だが、逆に無知の起源が問われることはあまりない。そもそも不在を問うことは一般に難しいが、それ以上に、知識というものが自動的に普及するものではないことを、ひとは忘れがちなのだ。知識は、秘匿され、抑圧され、歪曲(わいきょく)され、あるいはまたそれが知識であることが認知されず、内容が理解されず、伝わるべきひとに伝えられずに消失したりする。知識の供給と需要のあいだに、理想的な自由市場のごとき透明で円滑な交換の体系は存在しない。

 本書の主役は、18世紀、カリブ海からヨーロッパにもたらされたオウコチョウ(黄胡蝶)という植物だ。赤や黄色の花が美しいこの植物は、広く中絶薬として用いられていた。だが、その薬草としてのオウコチョウの知識はヨーロッパには普及しなかった。オウコチョウ自体は観賞用として普及したのに、である。なぜなのか。著者はその背景に三重の植民地支配の作用を見据え、薄皮を一枚ずつ剥(は)ぐかのごとき手つきで謎に迫る。

 第一の植民地支配は自然に向けられたものだ。重商主義たけなわのこの時代、ヨーロッパ諸国にとって、植民地の植物は、薬品や香料、染料などとして高値で取引される「緑の黄金」であり、他国を出し抜いてそれを本国にもたらせば、盗賊でも英雄であった。生物資源の知的所有物としての囲い込み競争は、今日に始まったものではない。

 第二の植民地支配は先住民や奴隷たちに向けられたものだ。その象徴は、近代植物分類学の父カール・リンネ。植民地の植物には、ヨーロッパ人に「発見」されるまでもなく、現地での呼称があり、その呼称のもとに先住民や奴隷たちはその植物に関する土着の知識を保持していた。しかしリンネはその一切を無視し、ラテン語による画一的な学名を上書きして消去してしまう。知識の消去は経験の消去であり、究極的には存在の消去につながる。科学の普遍性と暴力性とのあいだは紙一重なのだ。

 第三の植民地支配は女性に向けられたものだ。人口を制御しようとする権力の欲望は、女性の身体をその管理下におこうとする。中絶が次第に違法化され、出産が医学化される。薬草を使いこなす産婆は、金属製の鉗子(かんし)や鈎針(かぎばり)を使う産科医(男性外科医)にとってかわられた。植民地の女性奴隷の中絶は、酷(むご)くも厳しい追及を受ける。それが奴隷供給のストライキの意味をもったからである。

 推論を重ねつつ、最後に著者はこう示唆する。オウコチョウの薬効に関するヨーロッパ人の無知は「女性の出産をコントロール」する権力をめぐる長期的な闘争から派生したものだと。大西洋の両岸をまたいで展開したこの闘争の中で、自然に関する土着の知識は、一方で権力の都合によって選択的に摂取(というか略奪)され、他方で抵抗のために秘匿された。両者のあいだに口を開いた歴史の隙間(すきま)に、中絶薬としてのオウコチョウは滑りおちていった。知の帝国主義の闇の襞(ひだ)に触れる力作である。

    ◇

Plants and Empire: Colonial Bioprospecting in the Atlantic World

小川眞里子・弓削尚子訳/Londa Schiebinger 米スタンフォード大学教授、同「女性とジェンダー」研究所所長。『女性を弄(もてあそ)ぶ博物学』など。

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