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書評

言語学者が政治家を丸裸にする [著]東照二

[掲載]2007年07月08日
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

■人心も選挙も制す、言葉の力を分析

 不見識な発言で、先日も閣僚が辞任したばかり。政治家の発言が軽くなっていませんか、と思っている人は多いことだろう。政治家のスピーチには辟易(へきえき)、と思っている人も大勢いるにちがいない。

 私もその口だけれども、では有権者が重いスピーチを求めているかといえば、そうもいえない。小泉政治の5年半を思い出せば、あの語り口が人気の源だったことはだれも否定できないだろう。石原都知事しかり、東国原宮崎県知事しかり。言葉を制する人が人心を制し、ひいては選挙をも制す。よくも悪くも、いまはそういう時代なのだ。

 だとすると、集客力のあるスピーチとはどんなものなのか。『言語学者が政治家を丸裸にする』は、小泉前首相と安倍現首相を中心に政治家の言語表現力を吟味した本。言説内容には関知せず、表現のスタイルだけを分析する。

 たとえばA氏とB氏が同じ演説の場に立ったとしよう。

 A「**市の皆さん、こんにちは。今日はこのいいお天気の日曜日に、凸山凹男がんばれという温かいお気持ちで駅前にお集まりいただきましたことを、厚く厚く御礼申し上げる次第であります」

 B「いやあ、いっぱいですね。ありがとうございます。外にも会場に入りきれないのかな、大勢の方が立っておられるようです。本当にありがとうございます。凸山さん、よろしくお願いします」

 演説の定型にはまったAは安倍式、のっけから聴衆を巻き込むBは小泉式。この2人の話し方は対照的なのだ。

 話し言葉には、情報中心のリポート・トークと情緒中心のラポート・トーク、二つの面があるという。聴衆は情報より情緒を好むが、情緒だけでもだめで、要は二つを巧みにスイッチする能力が必要だってことらしい。

 著者の分析はいちいちごもっとも。「〜あります」「〜です」「〜思います」といった文末表現の変遷史も、田中角栄や竹下登ら歴代首相の癖をとらえた章もおもしろい。だけど爽快(そうかい)な読後感といえないのは……本じゃなくて政治の責任かな。野党政治家の分析ももう少し読みたかった。

    ◇

あずま・しょうじ 56年生まれ。米・ユタ大教授、立命館大教授。専門は社会言語学。

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