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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]野口武彦> 記事 書評 廃帝綺譚 [著]宇月原晴明[掲載]2007年07月15日 ■正史を背景に、奔逸する「密」の歴史 この連環のようにめぐる四篇(へん)の物語が閉じられた時、読者は、日本の歴史に「顕(けん)」と「密(みつ)」の両面があることを知らされる。そればかりか世界史の裏側へも水面下の回廊が通じていることを。 元末の順帝、明初の建文帝、明末の崇禎(すうてい)帝、そして本朝の後鳥羽院。これら四人の廃帝、意に反して玉座を追われた帝王の物語に西暦の紀年が記入されていないのは、「密」の歴史に年代記的時間は流れないという覚悟だ。 前作『安徳天皇漂海記』で安徳幼帝をくるんで東アジアの海を漂流した「琥珀(こはく)の玉」は、本書でも各篇の《しかるべき時》に顕現する。そのタイミングは悲運に陥った帝王の危難を救うだけでなく、もっと深い歴史の秘密を示すかのようだ。奔逸するファンタジーの背景には、しっかり読み込まれた正史が影絵のようにデッサンされている。 作者の幻想史観を貫くのは《玉の秘義》とでもいうべき摂理である。皇室に伝わる三種の神器は「顕の神器」であり、それよりもなお貴い「密の神器」がひそかに存在していた。記紀神話は、天地初発の時、イザナギ・イザナミが最初に生んだクラゲのような蛭子(ひるこ)を海に流したと言い伝える。作者が大化の改新の戦火からよみがえらせた蘇我氏の『国記(くにつふみ)』の伝承によれば、歴代天皇の玉体を蔽(おお)う「真床追衾(まとこおうふすま)」は、その蛭子の残身であるという。奇瑞(きずい)をなす「琥珀の玉」の正体である。 隠岐に流された後鳥羽院の手に入ったのは、もう一つの「密の神器」たる「淡島の小珠(しょうじゅ)」だ。やはり原初、蛭子の次に生まれたが子のうちに数えられなかったモノである。時空を超えて呼び交わす二つの玉。もしかしたら、歴史とはこれら陰陽両極の放電から生じる現象なのではないか。 後鳥羽院は、蜜の光を放つ玉の幻景に宿命のライバル源実朝の首を見る。『金槐集』の名歌「大海の磯もとどろに寄する波破(わ)れて砕けて裂けて散るかも」と歌合わせをしたいという妄執が起こる。この帝王歌人が生命力を傾け尽くして一首を呻(うめ)き出すクライマックスは圧巻だ。どんな歌かはここでは明かせない。 ◇ うつきばら・はるあき 63年生まれ。作家。『安徳天皇漂海記』で山本周五郎賞 ここから広告です 広告終わり 書評 バックナンバー
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