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書評

バン・マリーへの手紙 [著]堀江敏幸

[掲載]2007年07月22日
[評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■湯煎の力でゆるゆると道ならぬ道へ

 バン・マリーとは仏語で「湯煎(ゆせん)」「湯煎鍋」のこと。直火でがんがん熱するのではなく、湯を張った鍋を間に挟むことで、ゆるやかな温(ぬく)みをもたらす。著者はこれを自分の思考法に重ねあわせ、本や音楽をめぐる日々の発見や考察を湯煎にかけていく。前作の小説『河岸忘日抄』に結晶した揺蕩(たゆた)いためらうことの滋味は、こうして出てきたのかと感慨深く読んだ。

 堀江氏の心は、やすやすと動くもの、きっぱりと線引きするものには寄り添わないようだ。例えば、室生犀星に宣伝文を頼んできた佃煮(つくだに)店主の話がある。犀星が「(看板を書く)ペンキ屋さんに頼んだら」と断ると、なるほど、そうします、とあっさり去っていく。氏が呆(あき)れるのは、大作家に対する不作法もさることながら、「AからBへと……利便性だけに釣られて平気でひとを横切っていく」さもしさなのである。

 著者は「挟むひと」だ。挟む人はひたすら直線的に前進するのを拒む。中間地帯を好み、焼き芋の加熱法や、サンドイッチの懐の深さを愛し、仕事のメモはいったん本などに挟む(しばしば失〈な〉くす)。その精神は、コラージュや引用などにも繋(つな)がるという。「なぜか道ならぬ道へ逸(そ)れていく気持ちの流れを抑えることができない」という行(くだり)に、私は大いに共感した!

 湯煎の力で、仏語の前置詞一つから世界史地図が広がる。倒れた老木の上に若木が育つ「倒木更新」という現象に、弱さゆえの強大な力が見えてくる。運河に独特の「暗さ」は「人工的なものが自然の一部になり了せようとする時」に出るエネルギーの暗さだという引用があるが、その水路は地図に記されず、何かを運ぶ可能性を「どんより浮かべて」いる。私はここを読んでハタと、堀江氏も手がける翻訳という仕事を思った。翻訳書というのはなにか宿命的な「暗さ」をまとうものだが、あれは日本語の一部になろうとする人工物の、運河の暗さだったのか。

 と、本題から逸れた思いが湧(わ)きあがるのも、ゆるゆると頭をほぐしてくれる魅惑的な湯煎力のなせる技である。

    ◇

 ほりえ・としゆき 64年生まれ。作家、仏文学者。『熊の敷石』で芥川賞。

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