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書評

とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起 [著]伊藤比呂美

[掲載]2007年08月05日
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

■女友達から届く手紙のような長篇詩

 伊藤比呂美の本には、詩でもエッセーでも小説でも対談でも、遠く離れた場所にいる女友達から来た、直近の消息と心境を知らせる手紙みたいな効用がある。細かい事情はわからなくても、本を通して彼女の近況を気にしてきた読者は日本中にいるはずだ。

 『青梅』(人々に衝撃を与えた25年前の詩集である)の頃からそうだった。『良いおっぱい悪いおっぱい』(出産・子育てエッセーの嚆矢〈こうし〉というべき22年前の本である)からは彼女の娘たちも遠くで気にする対象に加わった。

 『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』は彼女の最新の「消息」である。〈父は老いて死にかけです。/母も死にかけて寝たきりです。/夫や王子様には、もう頼れません〉という状況の中で、夫のいるカリフォルニアの自宅と父母のいる熊本とを、ときには一番下の娘を連れて、ときにはひとりで行き来する。最初の章は「伊藤日本に帰り、絶体絶命に陥る事」。介護の必要な親と世話のかかる夫と自立する前の娘を、太平洋のあっちとこっちにかかえる彼女は、そりゃもう満身創痍(まんしんそうい)である。それで巣鴨のお地蔵様にちょっと頼ってみるのである。

 〈母の苦、父の苦、夫の苦。/寂寥(せきりょう)、不安、もどかしさ。/わが身に降りかかる苦ですけれど、このごろ苦が苦じゃありません、降りかかった苦はネタになると思えばこそ、見つめることに忙しく、語ることに忙しく、語るうちに苦をわすれ、これこそ「とげ抜き」の、お地蔵様の御利益ではないか〉とか嘯(うそぶ)きつつ。

 長篇(ちょうへん)詩だと本人はいっているけれど、詩なのかエッセーなのか小説なのかは、もはや判然としない。作中には古典だったり中原中也だったり宮沢賢治だったり、さまざまな文学の声が借用されて、それを読むのもまた楽しい。

 詩人の「消息」が読者を引きつけるのは実用的な価値があるからだ。詩なのに実用的っておかしい? だけどほんとに効くんです。

 性や出産や子の成長を描いてきた人が、50歳の坂にさしかかってぶつかる老いや病や死。四半世紀にわたる連続番組の重みがそこにある。

     ◇

 いとう・ひろみ 55年生まれ。詩人。著書に『ラニーニャ』『河原荒草』『コヨーテ・ソング』など。

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