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書評

近代による超克(上・下) [著]ハリー・ハルトゥーニアン

[掲載]2007年08月05日
[評者]北田暁大(東京大学准教授・社会学)

■絡み合った多彩な思想の網の目描く

 訳者もいうように、本書において展開される「戦間期日本の思想史」は、異国趣味的な関心から書かれた日本特殊論ではないし、またもっぱら日本人の専門的な思想史家を宛(あ)て名とした研究でもない。

 「戦間期日本」という時空間で生み出された様々な言論と思想実践を、グローバルな経済的・政治的・文化的文脈に位置づけながら理解し、そうすることによって、(西洋的)近代を乗り越えようとする思想的試みが現れ出るプロセスの動態を浮かび上がらせていくこと。本書の試みは、まさしく「ポストモダンの思想史」と呼ばれるにふさわしい方法論的意識を内包している。

 そうした方法論的意識を具体化するために著者がとっている戦略は、きわめて複雑なものとなっている。1942年の「近代の超克」座談会をはじめとして、村山知義、戸坂潤、権田保之助、和辻哲郎、九鬼周造、三木清、柳田国男、折口信夫などと実に多彩な人々の思想が俎上(そじょう)に載せられ、それらが網の目のように絡み合いながら、戦間期日本における「近代」「モダニズム」をめぐる思想空間を作り上げていく様子が詳細に描かれる。

 だから本書は、戦間期日本における思想を時系列に沿ってマッピングした「列伝記」ではない。読者は、時間的に行きつ戻りつする込み入った議論を追尾することによって、複雑に絡み合った言論のネットワークのダイナミズムを――ときに同時代における国外の思想との照応関係を確認しつつ――体感することとなるだろう。すべて読み通した後に、(少々難解な)「序」における著者の問題意識が、遡及(そきゅう)的にじわじわと伝わってくる本である。

 複雑な記述スタイルであるとはいえ、もちろん道標がないわけではない。様々な思想家たちが微妙な差異を伴いながら用いている「日常性」といったキーワードなどは、一つの手かがりとなるだろう。丁寧な訳者解説もある。このチャレンジングな思想史の試みが日本でどう受け止められるか、注目していくこととしたい。

     ◇

 OVERCOME BY MODERNITY/梅森直之訳/Harry Harootunian ニューヨーク大学教授・東アジア研究所長。

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