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書評

すべての終わりの始まり [著]キャロル・エムシュウィラー

[掲載]2007年08月05日
[評者]巽孝之(慶應大学教授・アメリカ文学)

■心地よく常識ゆさぶる破壊の力

 半世紀ものキャリアを誇るアメリカ女性作家キャロル・エムシュウィラーは、すでに生ける伝説である。ジェイン・オースティンとともにフランツ・カフカを愛する彼女は、長短編問わず多数の傑作を書き継ぎ、ネビュラ賞やディック賞、世界幻想文学大賞など華麗な受賞歴を重ねてきた。必ずしも大向こう受けしそうもないその作風を称賛したのは、フェミニズムとSFの双方の視点より「他者(エイリアン)」の意義を知り尽くした、『ゲド戦記』で著名なアーシュラ・K・ル=グウィンや、その好敵手たる男装作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアといった猛者たちだった。

 日本独自の編集になる本書が揃(そろ)えた19の短編も、雰囲気こそ奇妙とか不思議とか不条理と評されるかもしれないが、語り手の巧みな叙述から、他者そのものの驚くべき深みや多様性をえぐりだし、わたしたちの日常を塗り替えていく手つきは、まさに文学的名匠というしかない。

 表題作では離婚歴のある女性が、地球強奪の第一歩として猫の大虐殺を企(たくら)む異星人と結んだ共犯関係を告白し、「見下ろせば」ではヘビと猫を丸呑(の)みする鳥が「聖なる〈三〉」を体現する神として語り、「おばあちゃん」では孫娘が、人命救助に命を賭け天候や環境まで変えてしまうスーパーウーマンの武勇伝を回想し、「育ての母」では養母が、言葉や歌を教え込み愛情深く育んだ人間ならざる「あの子」との別れを惜しみ、「ジョーンズ夫人」では独身姉妹が、ふとしたことから遺伝子工学の産物らしき異形の老人を迎え入れ、新たな家族像を構築していくさまが綴(つづ)られる。

 だがいちばんスリリングなのはむしろ、ごくあたりまえの人間たちが扱われる時だろう。「セックスおよび/またはモリソン氏」の語り手は、そもそも男女という二つの性を自明と思うこと自体が間違っているのかもしれない、「私たちの中にきっと『ほかの者』がいるはずだ」と確信する。

 わたしたちの常識を心地よくもゆさぶる、これは小さくても破壊力満点の贈り物だ。

     ◇

 The Start of the End of It All/畔柳和代訳/Carol Emshwiller 21年、米・ミシガン州生まれ。作家。

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