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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]鴻巣友季子> 記事 書評 青年の完璧な幸福―片岡義男短編小説集 [著]片岡義男[掲載]2007年08月19日 ■閃き授ける女たち、小説が芽吹く瞬間 本書の4編にはそれぞれ、小説家をめざす青年が登場する。小説は、小説家は、いかにしてつくられるのか? 米国の大学には古くから創作科や講座があり、そこからカーヴァーやアーヴィングが生まれた。しかし「小説作法は学校で習えるものなのか」という議論は根強くある。 1960年代の日本を舞台にする本書では、小説教室は間違いなく別な形で存在する。ベテラン編集者たちは喫茶店やバーでの文学談議を通して、様々なヒントを与えてくれる。日常風景の中にふと扉がひらいて思いがけない小説のレッスンが顔を出す。彼らの創作論が、作中で実践されているのも読みどころだ。 だが、それにもまして青年に閃(ひらめ)きと霊感を授ける詩神は、女たちである。夕立のなか傘に飛びこんできた浴衣姿の人、予期せず恋人になった年上の幼なじみ、元アクション女優のバーの女……。 小説は、どこにあるのだろう? 「美しき他者」という編に出てくる女は、それをチェロ演奏になぞらえ、音楽は楽器という「具体物」の極みから出て、人の頭に入ると「エモーションというとんでもない抽象物になる」と表現する。わたしはエルンスト・クルトの音楽心理学や「楽譜は影のようなものにすぎない」という考えを繰り返し思う。「音楽」とは人の内面にある何かを表出したものではなく、内面で起きていることそのものなのだ。そう、「小説」もまた、目に見える文字にではなく、作者の心の動きにこそあるに違いない。 青年の心の内だけにある「小説」を、わたしは本書で紛れもなく読んだ。読んだという気持ちになった。一度きりの出会いや、恋人の遠のきが青年の心をゆさぶるとき、そこから架空性は生まれ出てくる。女たちはやがて彼の中でフィクションそのものになり、どこにもいない「幻」になることで、小説を芽吹かせる。なんという幸福だろう。フィクション誕生の瞬間を垣間見た読者にも、青年の高揚感は伝わるはずだ。 片岡義男氏の小説集はデビューから三十数年を経ていっそうみずみずしい。 ◇ かたおか・よしお 40年生まれ。『日本語の外へ』ほか著書多数。
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