[掲載]2007年8月26日
■生涯を捧げ「社会悪」報じた労農記者
「社会悪の報告」に生涯を捧(ささ)げた新聞記者がいた。最初の労農記者と呼ばれた大阪毎日新聞の村嶋歸之(よりゆき)である。彼の著述、さらには社会運動家で盟友でもあった賀川豊彦らの言動などから、村嶋の業績を再評価する研究書である。
村嶋は衆院議員の父の元で育ち、早稲田大政治経済学科を経て、大正4(1915)年に大阪毎日に入る。社会の底辺で暮らす人々に関心を寄せ、大正6年、連載「ドン底生活」で注目を集める。
他の下層社会に関係する記事の多くが好奇心から社会の「裏面」を捉(とら)えたのに対し、村嶋は統計資料に現場で重ねた聞き書きを加え、そこに等身大の生活を描き出した。賀川は、「人生の暗黒」を報告しながら、まず村嶋自身が泣いていたと人柄を評価した。
翌大正7年の連載「見よ!! このダークサイドを」では、社会に潜む悪に破邪の剣を振るう。「偽孤児院」の回は、浮浪児や感化院を脱走した子を雇い、孤児と偽って薬や化粧品の行商をさせた慈善団体を批判する。また、著書などでカフェの女給にも注目した。華やかさの内部に織り込まれた「人間苦の諸相」を世に伝えたい思いがあった。
村嶋は労働争議にも深くかかわる。大正8年、賃上げを要求する川崎造船所の労働者1万6000人が、前例のない大規模なサボタージュを行った。村嶋はこの時、戦術を教示するいっぽうで、その内実のスクープもものにした。米の急進的労組の冊子からサボタージュを知って「同盟怠業」と訳出したという村嶋は、運動を導く知識人とジャーナリストの両面から、争議と向き合ったわけだ。
村嶋は戦時下でも揺らぐことなくリベラリストを通し、晩年まで「報告者」という役まわりにこだわり続けた。彼の生き様と信念に共感を覚えつつ、一気に読了した。
正義感の強い若者が、日々の不安を抱えて生きる人々に寄り添い、世の矛盾と対峙(たいじ)するなかで社会事業の実践者となる。研究書でありながら、大正デモクラシーを背景に活動を始めた社会派ジャーナリストが、成長を果たす物語として読むこともできる。
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きむら・かずよ 神戸大などで非常勤講師を務める。共著に『日本社会福祉人物史』。
著者:木村 和世
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