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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]巽孝之> 記事 書評 日本/映像/米国 共感の共同体と帝国的国民主義 [著]酒井直樹[掲載]2007年09月02日 ■映画に見る太平洋両端の「共振」 映画を通して、日米を中心にした環太平洋関係を考える批評の決定版が、ついに登場した。 たとえば本書は、「ランボー」シリーズに代表されるハリウッド映画のみならず、「ペパーミント・キャンディー」(99年)などアジア映画全体をも考慮しながら、9・11以後、アメリカ合衆国で渦巻く反動が「アメリカの世界支配のどこが悪い」という開き直りをもたらし、過去の「人類への罪」から植民地主義の遺制と責任、ベトナム戦争に至るいっさいがっさいを、国民ぐるみで黙殺するようになったいきさつを指摘する。これまでの知識人が「国民の良心に訴えることで、過去の帝国主義政策の反省を促」してきた「告発の戦略」は、とうに失効したのだ。 だが、さらに本書が発揮する洞察は、日本生まれながら長くアメリカを代表する教育研究機関で日本史を講じてきた、この著者ならではの複合的な立場によっている。 敗戦後の我が国が形成した国民主義は、必ずしもアメリカのヘゲモニーに対立するものではなく、むしろその一部にすぎなかった経緯を酒井は克明に分析する。そこでは、マイケル・チミノ監督「ディア・ハンター」(78年)において、ベトナム戦争加害者であるのに被害者になりおおせようとしたアメリカと、市川崑監督「ビルマの竪琴」(56年)において、かつての敵国イギリスとの和解をもくろみつつ自らの国民的・民族的・人種的同一性を強化しようとした日本とが、いかに構造的に共振するかが、浮かび上がる。 このように国家的な矛盾を押し隠しながらも国民全体を荒業でまとめあげてしまう装置を、本書は「共感の共同体」と呼ぶ。その背後には、ベトナム戦争のころ、酒井自身が東京郊外の基地に近い地域で育ち、少なからぬ性労働者を目撃してきた自伝的歴史がひそむ。アメリカの現在を批判するとともに日本の戦後史にも斬(き)り込み、共感の共同体がじつは「共犯の共同体」であることを抉(えぐ)り出す視線は、それ自体が、以後の日米関係を考えるのに不可欠な「批評」である。 ◇ さかい・なおき 46年生まれ。米国・コーネル大教授(思想史、比較文学)。
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