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書評

オッペンハイマー―「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(上・下) [著]カイ・バード、マーティン・シャーウィン

[掲載]2007年09月09日
[評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)

■原爆開発後の矛盾を解き明かす

 本書は、第2次世界大戦中にアメリカの原爆開発をリードした科学者であり、冷戦期にはアカ狩りによる攻撃で政府の中枢的な地位を追われた、ロバート・オッペンハイマーの伝記である。「原爆の父」と呼ばれた人物が、一転して共産党のスパイ扱いされて追い落とされるというドラマチックな展開から、その真相をめぐってはこれまでにも多くの議論があった。しかしピュリツァー賞を受けた本書は、彼の最良の伝記だろう。

 オッペンハイマーに関しては、違法な盗聴記録を含む米連邦捜査局(FBI)の7000ページに及ぶ個人調査ファイルや、彼の追放を決定づける審問委員会の記録が残されていた。本書はさらに、今では亡くなった数多くの人々のインタビューを用いており、非常に複雑で精彩ある彼の風貌(ふうぼう)を伝えている。

 著者たちは、アメリカの冷戦外交や核政策に批判的な研究者であり、それがオッペンハイマーの生き方への共感を生み出している。だが迫害された「現代のガリレオ」といった彼の偶像化には、与(くみ)していない。そして彼の個人的な性格に根ざした矛盾や葛藤(かっとう)が、核政策をめぐる重大な政治対立といかに結びついていったかを解き明かそうとするのである。

 本書は人類初の原爆実験の成功までを描いた、才能豊かな理論物理学者として活躍する上巻と、国家の核政策決定の中枢に位置する、政治的なエスタブリッシュメントの一員となった時代の下巻とに分かれる。上巻が全体として明るい軽やかな色調で描かれているのに対し、下巻は暗い陰鬱(いんうつ)な叙述で綴(つづ)られている。原爆開発の成功によって、彼の人生はすっかり変わってしまったのである。

 本書の底にあるテーマは、同時代のアメリカの中を流れる、合理主義的で自由闊達(かったつ)な世界と、非合理で不寛容な軍事的な重圧との対比にある。オッペンハイマーが生来、自由な世界に生きる人だったことは間違いないが、戦争と冷戦は次第に社会の中の自由の領域を狭め、彼自身も原爆開発を通じて、自ら重苦しい国家の枠組みに入り込んでいった。それが彼を次第に追い詰めていくのである。

 彼は一貫して、政治的社会的関心の強い物理学者であった。この政治的関心が彼を、1930年代には共産党に近い人民戦線派に引き寄せ、戦時下には反ファシズムの愛国的な行動に向かわせた。しかし核兵器開発は、思いもかけない巨大な政治問題に彼を直面させる。その中で彼は核の国際管理と核兵器の廃絶を訴えるのである。

 戦後の彼は、政府の中枢の一人として冷戦政策に荷担(かたん)していくが、同時に水爆は防御する手段のない武器であるとして水爆開発に反対し、無差別に一般人を殺戮(さつりく)する核報復政策に異論を唱えるのだった。そのリベラル派としての姿勢が、共和党の政権復帰を契機にアカ狩りによる迫害を招くのである。彼の敗北は「アメリカ自由主義の敗北」だったと、著者たちは結論づけている。

 今日、世界中への核拡散が新たな脅威をもたらしている。オッペンハイマーの訴えは、より一層切実さを増しているといえよう。

    ◇

 河邉俊彦訳/Kai Bird 歴史研究家。Martin J.Sherwin 米タフツ大学歴史学教授。

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