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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]酒井啓子> 記事 書評 神の法vs.人の法 スカーフ論争からみる西欧とイスラームの断層 [編著]内藤正典、阪口正二郎[掲載]2007年09月16日 ■一面的な西欧の政教分離主義に疑問 8月末、イスラーム主義を掲げる公正発展党出身の新大統領が選出されて、トルコ国内が揺れている。大統領本人より、大統領夫人が髪を覆うスカーフを被(かぶ)っていることが、大論争の種だ。 国民の多数がイスラーム教徒(ムスリム)ながら、建国以来世俗主義を国家原則としてきたトルコ。公的空間でのスカーフ着用を認めないはずが、ファーストレディー自らスカーフを被るとは、というのが、欧州連合(EU)加盟を課題とするトルコにとって、困惑の背景にある。 過去30年間、西欧ではムスリム女性のスカーフ着用が、移民社会とホスト国間の最大の問題となってきた。スカーフを被った学生を西欧の公立学校から退学させることを、世俗主義原則の共和主義護持に必要と考えるのか、信教の自由に反すると考えるのか。キリスト教とイスラームの文明の衝突、と安易に見られがちなこの問題の背景を、本書は詳細に分析する。 基底をなす主張は、スカーフをイスラームによる女性への社会的抑圧の象徴とみなす、西欧の視点への疑問だ。西欧はスカーフ着用を、イスラーム社会の女性蔑視(べっし)、後進性、あるいは「原理主義」的主張とみなすが、実際には個人の意思で、自らの倫理規範として、スカーフ着用を選択する者が多い。そもそもイスラーム社会には、教会制度のような統括組織がない。スカーフ現象は、むしろ移民個々のアイデンティティー発露の一形態と見るべきだろう。 女性のスカーフばかりを問題視して、政治的イスラーム主義のより直截(ちょくせつ)な表現形態である、男性のあごひげには何も言わない西欧の対応こそが、女性差別的だ、という編者の指摘は、慧眼(けいがん)だ(序章)。 イランやサウジのような国家が宗教を強制することの不自由さは問題視するが、国家による宗教排除の不自由さは問わない、西欧の政教分離主義。問題は、今後リベラル・デモクラシーをいかに共生へと開かれたものに「鍛え直す」かにある(第1編1章)。 中東研究者のみではなく、憲法学の専門家を交えた執筆陣が、画期的。 ◇ ないとう・まさのり 一橋大教授・社会学。さかぐち・しょうじろう 同教授・憲法。
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