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書評

タタド [著]小池昌代

[掲載]2007年09月23日
[評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■生と死の境、攫われる時を予感しつつ

 なにかにふっと持っていかれそうになる感覚の狂おしさが、この短編集をうっすらとおおっている。引き潮、引力、堰(せき)を切って溢(あふ)れるもの……。川端康成文学賞作の「タタド」を含む3編には、50代の男女が多く登場する。離婚あり、失業あり、挫折あり、そうして彼らはいま人生の半ばを過ぎようとしている。いつか訪れるものの影が、木の間にちらちらと躍り始める頃だ。

 「タタド」は、妙なものが出たり入ったりするお話である。夫婦のいる海辺の別荘へ、友人たちが遊びにくる。テレビ局員の夫の客は脇役女優、妻スズコの客は元同僚の男性。男はかつて自分の口を出入りしたスズコの舌を思いだし、女優の顔をちらちら見ているうちに、自分がその顔のなかを「出たり入ったりする虫」に思えてくる。食卓を囲む4人の口の穴には、海藻が「するすると、ずるずると」吸いこまれる、そんな風の強い夕べ。関係の「決壊」はそこまで迫っている。

 影はどこからでも這(は)い入ってくる。浅瀬でゆれるウミウチワは、「笑いさざめく死者の顔」になり、想像のなかで轢(ひ)いた猫は葬れずにいつまでも現れる。その感じは、「波を待って」という編で、どんなに防ごうとも侵食してくる海辺の風、砂、水、光にも似ているだろう。主人公の夫は五十半ばでサーフィンの虜(とりこ)になり、波に「イカレテ」しまった。子供とともに浜で待つ妻は、夫の身を強く案ずる一方、彼がここで消えたとてそれは潮の満ち引きのような現象にすぎない、とも思うのだ。止めようのない力……。次の「45文字」では、元同級生の女に再会した男が、引力にひかれるようにどこかへはみだしていく。

 タナトスとエロスは融(と)けあいひとつになる。男と女がふわふわと出たり入ったりするのは、夢とうつつ、眠りと覚醒(かくせい)の境目、つまりは生と死の境をなす穴なのだ。抗(あらが)いえぬ力に攫(さら)われる時を予感しつつ、人々はいまひととき波間にゆれる。そのいまにもほどけそうなあやうさ。気がつけば、わたしは思わず叫びだしそうになっていた。

    ◇

 こいけ・まさよ 59年生まれ。詩人。00年、『もっとも官能的な部屋』で高見順賞。

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