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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]赤澤史朗> 記事 書評 靖国戦後秘史―A級戦犯を合祀した男 [著]毎日新聞「靖国」取材班[掲載]2007年09月23日 ■合祀の裏に「戦後体制への強い反発」が 現在の靖国神社は、A級戦犯被告の合祀(ごうし)を正当化する立場に立ち、神社本庁も同様の地点に立っている。しかし本書はこれとは逆に、戦後の靖国神社や神社界では、A級戦犯の合祀に慎重な意見も大きな流れであったことを説明しようとするものだ。 靖国神社で長い間「保留」扱いされていたA級戦犯の合祀は、78年10月に、その3カ月前に就任したばかりの松平永芳宮司の決断によっておこなわれたものであった。松平宮司は、「皇国史観」で知られる平泉澄を師と仰いでおり、戦前は海軍軍人、戦後は陸上自衛官として過ごし、BC級戦犯として刑死した義父の「無念」を晴らそうと考える人物だった。本書は、軍人としては不遇な経歴だった彼が、戦後体制に反発する強烈な信念の人だったことを明らかにしている。その信念は、宮内庁とも「公式参拝」をした中曽根首相とも、摩擦を引き起こすものだった。 しかし、戦後30年以上宮司の職にあった前任の筑波藤麿は、もともと軍人嫌いの独特の平和論者であり、A級戦犯の合祀について慎重な立場をとり続けていた。また戦後の神社界きっての理論家であった葦津珍彦(あしづ・うずひこ)は、79年にA級戦犯の合祀への批判論を公にしたのである。ただし靖国神社のあり方をめぐって、神社界の中にある松平宮司とは対立する考え方には、諸種の異なる立場があった。本書の問題点は、それらの議論を一つに結びつけようとしている点にあり、そこにやや無理があると思う。 本書は、東京市ケ谷の防衛省の敷地内にあるメモリアルゾーンの叙述で終わっている。03年9月に整備されたそれは、戦後の殉職自衛官1700人以上の名前が刻まれた銘板を収めた追悼施設で、ここへの外国の要人の訪問も始まっているという。自衛隊の海外派遣が増加する中で、21世紀の日本の「戦死者」の追悼施設とされるものは、すでに靖国神社から離れつつあるというのが本書の見方だ。今やA級戦犯を合祀した事実が、靖国神社に重くのしかかっていることを示唆する指摘ともいえよう。 ◇ 06年8月の毎日新聞朝刊企画「靖国〜『戦後』からどこへ」を元に書き下ろし。
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