ここから本文エリア

RSS

現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]野口武彦> 記事

書評

日本の古典芸能 名人に聞く究極の芸 [著]河竹登志夫

[掲載]2007年09月30日
[評者]野口武彦(文芸評論家)

■一世一代の芸の秘密、含蓄たっぷりと

 古典芸能の世界で「名人」と呼ばれる十人をゲストに招いた対談集である。

 その道で奥義をきわめた人物は必ずしも話し上手とは限らず、そう易々(やすやす)と話が引き出せるものではない。ホスト役の河竹登志夫は、人徳もあろうが対話術の妙を尽くして、めいめいの《芸》の秘密を肉声で語らせるのに成功した。

 対話相手を楽器にたとえれば、ツボを押さえていちばんいい音を鳴らしている。

 各分野に熱心なファン(したがって読者)がいることだから、洩(も)れなく紹介しておくのが公平だろう。狂言の野村万作、能楽の観世栄夫(かんぜひでお)、文楽人形遣いの吉田文雀(ぶんじゃく)、歌舞伎の片岡仁左衛門(にざえもん)・中村芝翫(しかん)、日本舞踊の花柳寿南海(はなやなぎとしなみ)、雅楽の東儀俊美(とうぎとしはる)、長唄三味線の杵屋巳太郎(きねやみたろう)、胡弓(こきゅう)の川瀬白秋(はくしゅう)、文楽太夫の竹本住大夫(すみたゆう)という顔触れである。

 どんなにジャンルが多様であり、芸の《畑》が違っていても、日本の古典芸能には「自らの肉体によって創(つく)り出し、身体から身体へと伝えられていく」という普遍的な特質がある。芸とは、演者の肉体と共に消えてゆく一世一代的な技能なのである。伝承されない限りやがて滅びる。

 身体で覚えた芸を言葉で言い表してもらうのは至難の業であるが、この聞き手は相手にたんなる芸談ではなく「率直な心の内」や「ハッとする言葉」や「屈託のない打ち明け話」などを喋(しゃべ)らせるのがうまい。何気(なにげ)ない一言が思いがけぬ閃(ひらめ)きを発するのだ。

 たとえば、観世栄夫「若い役者たちがすぐに表情をし過ぎるんだなぁ」、仁左衛門「七五調ってのは怖いんですよ。つい、うたっちゃうんでね」、芝翫「ボンボーンって突然上がるんですよ。それで上がりそこなった人は、皆駄目ですよ。二度と上がれない」、住大夫「褒めたりべんちゃらを言うてくれはるのはお客さんのほうで、内輪から褒めたらいけまへん」。

 すべて豊かな芸歴・舞台歴をふまえた発言だからたっぷり含蓄がある。文芸もまた《芸》の内であるからには、名人たちが惜しみなく自己を語る言葉から《盗む》べき秘伝がたくさんあるはずだ。

    ◇

かわたけ・としお 24年生まれ。演劇研究家。『作者の家』『歌舞伎美論』など。

ここから広告です

広告終わり

このページのトップに戻る