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書評

喪失とノスタルジア 近代日本の余白へ [著]磯前順一

[掲載]2007年09月30日
[評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)

■深い孤独と他者を求める憧れの間で

 本書は、近代日本の知識人の精神史を新たに語り直そうとした思想論集である。著者は宗教学者で歴史家だが、既存の学問の枠には収まりきらない活躍をする人である。本書ではその著者にふさわしく、宗教・歴史・文学などの領域の違いが軽々と乗り越えられているのが特徴だ。

 たとえば本書で描かれている主題の一つは、近代日本の知識人の抱いた深い孤独にある。その一例は、親しいものがその死によって隔てられる経験だ。しかしその孤独と同時に、他人とお互いに素直に理解しあいたいという強い憧(あこが)れも主題とされている。つまり一方での隔絶感と、他方での他者との共同性を求めてやまない態度、この二つのあり方が、ここでは繰り返し異なる問題を通して追求されているのである。それは戦争末期に戦死する青年たちを前にして、その救済を求める柳田国男の祖霊信仰論として取り上げられたり、現代の男女の交渉を描いた村上春樹の文学として扱われたりする。

 また本書で一貫して重視している主題には、知識人の言語や論理によっては統制しにくい内面や感情の問題がある。それは宗教の生まれる根源でもある。著者によれば戦前のマルクス主義的な知識人は、かつてその論理によって無視し抑圧していた内面的なものや感情を言語化する中で、足をすくわれ転向を余儀なくされたのだという。

 そしてこれと逆に、戦時下で抵抗し続けたマルクス主義史家の石母田正には、マルクス主義とは異質な宗教的なものを課題として追求する志向があった。それは彼の大衆からの孤立感やその罪の意識の中に見られるという。このように分野を越えて知識人に共通の課題を見ていこうとする著者の斬(き)り口は、なかなか鮮やかといってよい。ただしその説明が、やや舌足らずの時もあるようだ。

 とはいえ本書は宗教史や史学史を扱いながら、現代の孤独な私たちが他人に伝わる言葉を見いだそうとする時の、痛切な言葉に溢(あふ)れている。その切実さが、学問の語り直しを促す著者の迫力を生んでいる理由と思えた。

    ◇

いそまえ・じゅんいち 国際日本文化研究センター准教授。

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