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書評

惑星の思考 〈9・11〉以後を生きる [著]宮内勝典

[掲載]2007年10月07日
[評者]巽孝之(慶應大学教授・アメリカ文学)

■言葉の力を取り戻す精神の遍歴

 宮内勝典が2005年に刊行した『焼身』(集英社)は、9・11同時多発テロをきっかけに書かれた最も切実な長編小説である。1960年代、ヴェトナム戦争に抗議するヴェトナム人僧侶が街路で焼身自殺した事件を探求する語り手が、やがて非暴力が暴力に転じていく「魔」を再確認する物語は、深く重い。

 さて本書は、9・11に引き続く2001年12月から2006年9月までのきっかり5年間、著者が非戦活動のかたわらいかに言葉の力を取り戻すべきかと試行錯誤し、いかに『焼身』を執筆し脱稿したか、その過程でいかに文学を復興させるべきかを思索した、精神的遍歴のルポルタージュである。自己のホームページの「海亀日記」をもとに加筆改稿したこれら断章群において、著者独自のリアルタイムにおける即興的な思考とノンフィクション・ノヴェル風ともいえる物語学とが、スリリングに絡み合う。

 著者の関心は、たとえばアフガンで投降したタリバン兵士のうちにひとりだけ交じっていた白人アメリカ青年の人生の転機がブラック・ムスリムの雄による『マルコムX自伝』だったことや、ニューヨークへ移民したパレスチナ人青年が『コーラン』を捨てヘミングウェイを読みふけるようになったこと、かのフセインが逃走中にドストエフスキーの『罪と罰』を熟読し、自身も湾岸戦争後に『悪魔のダンス』なる小説を刊行していたことへと赴く。文学が国境を超えて読者をつかんだ歴史は、回心・転向すらもたらす言葉の力とともに、軍事・経済力では決して譲り渡せない民族的ソフトパワーのありかを意識させる。

 そんな時代に、全地球的水準の多文化的文学はいかに成立するか? これが、著者の本質的な問いかけである。それはくしくもポストコロニアリズムの批評家ガヤトリ・スピヴァクやワイ・チー・ディモクらが編み出した超時空的「惑星思考」の比較文学方法論とも共振する。ローマ法皇と『焼身』の仏僧を重ね、文明の衝突ならぬ「文明の共生」を探る大胆な思考は、その最大の結実といえよう。

    ◇

 みやうち・かつすけ 44年生まれ。『南風』で文芸賞。『焼身』で読売文学賞。

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