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書評

生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学 [著]J・バトラー

[掲載]2007年10月07日
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

■「9・11以後」の国家の暴力を問う

 「9・11以後」はいまや世界を、政治を語るときの欠かせないキー概念になってしまった感がある。現代思想も例外ではなく、というか思想界にこそ、それは衝撃を与えたのかもしれない。日本語に訳された比較的ポピュラーな著作で、エドワード・サイード、ノーム・チョムスキー、スーザン・ソンタグらに触発された読者も少なくないだろう。

 ジュディス・バトラー『生のあやうさ――哀悼と暴力の政治学』もまた「9・11以後」モノの一角につらなる一冊である。

 〈2001年秋に私が感じたこと、それは〉と彼女は書く。〈アメリカ合州国が自らをグローバルな共同体の一員として定義する機会を失いつつあること、その代わりにアメリカではナショナリズム言説が力を得て、監視メカニズムが強化され、憲法で保障された権利が停止状態になり、あからさまなものであれ暗黙のものであれ、検閲が蔓延(まんえん)することになってしまったということだった〉

 なんてよくわかる序文だろう! バトラーが「わかる」なんて奇跡に近い。

 バトラーは、アクロバティックとさえいえるこみいった文体と難解な思想で、世界中の読者をほとほと困らせてきた著者である。彼女の名前を一躍知らしめた『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳・青土社)は、セックス(生物学的な性)とジェンダー(社会的な性)という、第二波フェミニズムが一貫して用いてきた二分法に疑義をはさみ、「いーえ、セックスやセクシュアリティも社会的に構築されたものなのです」とやって、「そんなの現実と乖離(かいり)した机上の空論じゃん」という一部の反発を招きながらも、それまでのフェミニズムやジェンダー論をぬりかえるほどの衝撃を巻きおこしたのだった。

 ジェンダー論と直接的には関係のない本書でも、所与のものとされてきた二項対立の図式を徹底的に疑う姿勢は貫かれている。

 収録された論考は全部で5本。

 「タリバンやアル・カイーダの構成員」を収容すると称して、「囚人」に非人間的な拘束を強いるグアンタナモ・ベイ捕虜収容所の政治的な意味(「無期限の勾留(こうりゅう)」)。ユダヤ人の立場でイスラエルを批判する人々に向けられる脅しの言説(「反セム主義という嫌疑」)。あとの三つは、自由な言論が封殺された中で「暴力」や「哀悼」をどう捉(とら)えるかにかかわる。

 理論家で知られるバトラーだが、この本の価値は「左翼的知識人」を自任する著者が見えない圧に抗してリアルタイムで発言する、その行為自体にあるように思われる。

 〈「テロリズム」という語の使用はこうして国家に基盤をおかない政治団体が行使する暴力行為を非合法化する機能を果たしており、それはまた同時に既存の国家による暴力的な対応にお墨付きを与えているのだ〉

 2001〜2003年に書かれた言葉が、いまなお有効性を失っていないのは、いわずもがな。「対テロ戦争」という語を金科玉条とした法案が国会で審議されようとしている日本でも事情はまったく同じである。「9・11」はいまも現在進行形なのだ。

    ◇

 本橋哲也訳/Judith Butler 56年生まれ。米カリフォルニア大学バークリー校教授(修辞学・比較文学)。『触発する言葉』『アンティゴネーの主張』など。

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