ここから本文エリア

RSS

現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]久田恵> 記事

書評

紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代 [著]姜竣

[掲載]2007年10月14日
[評者]久田恵(ノンフィクション作家)

■不条理を覗かせてくれた不思議世界

 私が育ったのは、北海道の鉄の街の社宅街。そこにも紙芝居屋はやってきた。

 時は、昭和20年代末。本書によれば、戦後の街頭紙芝居の絶頂期だったらしい。

 外で遊び呆(ほう)けていると、誰かの「紙芝居がきた!」の声がして、一斉に子どもが走る。不衛生でお腹(なか)をこわすから、と飴(あめ)代をもらえなかった私も、兄にすがりつきながら必死でタダ見をした。

 そして、まわりから邪険にされつつ見るのは、赤マントの骸骨(がいこつ)や河童(かっぱ)やら、継母に苛(いじ)め抜かれる哀れな子どもの不幸な話。絵もおどろおどろしく、不気味だった。

 本書は紙芝居とメディア史と日本民俗学をテーマとするユニークな研究書だが、関係の解明を試みた部分は、難解すぎて歯が立たない。私のような一般読者は、もっぱら、著者がフィールドワークとして、10年も調査研究に打ち込んだという街頭紙芝居の現場の話に魅了される。

 とりわけ、子どもに根強い人気を呼んだ「墓場奇太郎」の怪奇譚(たん)が怖い。これは、胎児を孕(はら)んだまま死んだ妊婦の墓の中から子どもが生まれるという昔話が源流で、著者の熱のこもった解説からは〈不気味な生臭さが、ムンムンとたち上がって〉くる。

 そもそも、日本の紙芝居は見世物小屋の立絵芝居から発して、大流行したのは昭和初期の大不況の頃と、テレビが登場するまでの戦後の一時期。一貫して失業者や復員兵という都市下層の人々の生活史と深くかかわってきた。

 内容も、猟奇的で不気味なものが多く、警察やGHQに検閲されるなどしながら、生き残ってきたとのこと。

 本書によって、忘却の彼方(かなた)だった子ども時代の暮らしの断片が蘇(よみがえ)り、思えば、当時の子どもにとって紙芝居屋とは、夕暮れの原っぱにやってきて、この世の闇と混沌(こんとん)と不条理を覗(のぞ)かせてくれる不思議な存在だったなあ、との思いに至る。

 紙芝居が媒介していたあの世とこの世をつなぐ〈不気味なもの〉の世界を喪失することで、今の子どもたちが失ってしまったものとはなんだろう、と思わずにいられない。

   ◇

カン・ジュン 66年韓国生まれ。城西国際大准教授。専攻は民俗学、文化人類学など。

ここから広告です

広告終わり

このページのトップに戻る