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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]鴻巣友季子> 記事 書評 文字の都市―世界の文学・文化の現在10講 [編著]柴田元幸[掲載]2007年10月14日 ■浮かび上がる「文化の交差点」の風景 「あの高いのは都庁と違います〜?」「ぅぉおうぅ、そうやろか!」。新宿で観光客が指していたのは、某高級ホテル。プリンストン大学のエメリック氏は、このコミカルな取り違えから「首都(キャピタル)/都市(メトロポリス)」文学論を展開する。森鴎外、田山花袋、大岡昇平のような、首都・東京の存在感が濃厚だった日本文学から「場所感」が薄れだしたのは、村上春樹あたりからだろうか、と。 トポスとしての東京に始まる思索が、しかし真のスリルをおびるのは、その視点が都市論的な「場」を離れ、小説の文体そのものに向かっていく時である。実際の首都に背を向けた文学はいま、標準語という文字の「首都」をも見捨てようとしている、というのだ。求心的なキャピタル文体から「ミックスアップした」メトロポリス文体へ。日本文学はどう変わっていくのだろう。 この刺激的な論考をふくむ本書は、東大大学院教授の柴田元幸氏が他校から講師を招いて主宰した「多分野交流演習」をまとめたものだ。紙幅によりすべて書けないのが無念だが、ロシアのポピュラー音楽史(久野康彦)といった知られざる分野を紹介し、ダンテ、ホメロスを「ローカライズ・流用」の観点から読み直し(栩木(とちぎ)伸明)、愚痴のメカニズムでチェーホフ、ドストエフスキーを読み解き(野中進)……もう、大学講義にあるまじき(いや、あるべき)面白さである。 「『魅せられる』ことからはじまる」と帯コピーにあるが、それを最も鮮明に感じさせるのは小沼純一氏の講義だ。コリン・マクフィーなるカナダ人音楽家が、バリ島のガムランに惹(ひ)かれた経緯とその生涯をたどる。その中でマクフィーを起点に、アルトー、ストコフスキー、阿部知二、カナダの作家アトウッドらの“足跡”が交わり、歴史的な文化の交差点の風景が描きだされていくさまは、まさに壮観。何かに魅せられた芸術家には、研究者には、それぞれ何ができるのか? 著者の真摯(しんし)な問いかけには、分野を超えて創造の根幹に迫る声が響く。感動した。 ◇ ほかに小野正嗣、小沢自然、藤原克己、ロジャー・パルバース各氏の講義も。
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