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書評

失われた民主主義―メンバーシップからマネージメントへ [著]T・スコッチポル

[掲載]2007年10月14日
[評者]小林良彰(慶應大学教授・政治学)

■エリートに管理される社会を問う

 米国では、来年秋の大統領選の候補者選びが進み、日本のニュースにもしばしば登場する。しかし、そこで目に付くのは巨大化した政党や利益集団、そして民間からの献金を集めて特定の候補者支援のために支出する政治活動委員会(PAC)である。地元における一人ひとりの市民の自発的政治参加を積み上げることで自分たちのリーダーを選出できた「古き良き時代」ではなくなり、組織的に巨額な選挙資金を集めて、候補者のテレビCMを流すことが大統領への道になっている。

 その原因として、フランスの思想家トクヴィルが述べたように、「一般に平等が進むと各市民が個人的に弱くなり、相互の糸が失われて皆が孤立する」ため、大きな資金を背景にした全国規模の組織が必要になったことが考えられる。特に、60年代の市民運動以降、市民組織が専門化したために高学歴の専門家が組織の運営に携わるようになり、市民によるメンバーシップ組織が専門家によるマネージメント組織に変貌(へんぼう)し、市民が専門家から管理されることになったと、米国政治学会会長を務めた本書の著者スコッチポルは嘆く。そして、専門家が市民を大量動員することに積極的ではなくなり、90年代以降、民主主義が「失われた」状態に入ることになる。

 こうした変貌に対して、「社会における人間関係の豊かさ」を示す概念である社会関係資本(ソーシャルキャピタル)に注目して一世を風靡(ふうび)した『孤独なボウリング』の著者パットナムは、組織が中央化されることで地元運動と連携しなくなっている現状を悲観し、地域的な人間交流を重視することが必要と強調する。これに対して、リベラル派は、組織が地域のしがらみから解放されて全国化されたことを楽観的にとらえて賞賛(しょうさん)する。

 これらの議論に対して、スコッチポルは、まずパットナムらの議論を「皆でボウリングをしても政治参加にはならない」として政治的運動と非政治的運動を混同することを批判する。また、60年代から90年代の間に起きた市民組織の急激な変貌の原因を、時間をかけて徐々に進行する世代交代に求めることには無理があると手厳しい。

 その一方で、リベラル派による楽観論に対しても「集団の対象が全有権者でも運営は上流階層」が行っていることを指摘して、専門家による上意下達的運営やエリートによる脱物質主義的価値観が非エリートの物質的利害要求を排除していると批判する。

 両端の議論に対するこれらの批判を通して、スコッチポルは「過去の我が市民社会の最良の部分を再創造する方法を探すことはできるし、またそうすべきである」とし、現代社会に即した市民による自発的結合を取り戻すことが重要であると主張する。

 米国の現状を「失われた民主主義」と捉(とら)え、その原因を数十年間にわたる米国の利益集団の分析を通して明らかにした名著である。「スナップ写真」のような個々の選挙における世論調査データの分析に頼りがちな日本の研究者にも得るものが多い。翻訳もこなれていて読みやすく、一読を勧めたい。

    ◇

Diminished Democracy:From Membership to Management in American Civic Life

河田潤一訳/Theda Skocpol 47年生まれ。米ハーバード大学教授。著書に『歴史社会学の構想と戦略』など。

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