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書評

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から [著]中島みち

[掲載]2007年10月21日
[評者]小林良彰(慶應大学教授・政治学)

■最後の一瞬まで手を尽くしてこそ

 昨年春、富山県のある医師が7人の末期患者を「脳死状態」にあると判断し、人工呼吸器を外して死に至らしめる事件が明らかになった。

 前年秋から、病院内で調査していた結果を発表したのだ。その後、尊厳死を主張する医師と、脳死状態かどうかを1人だけで判断すべきではない、と自宅待機などを命じた院長との対立に発展する。

 さらに、この事件は、メディアなどを通じて尊厳死の是非をめぐる論争に発展し、その結果として尊厳死の法制化が進められて、さきごろ、「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」が公表された。

 これに対し、本書の著者は患者の視点に立ち、当該医師や院長、患者の家族など関係者へのインタビューを通じて、事件の徹底した事実確認の作業を進める。

 移植臓器の提供者が少ない日本では、臓器移植を促進するための環境整備を急ぐ動きもある。だが、著者の「足によるルポ」を通じて現れてきたのは、医師が可能な限りの手を尽くしてくれたという患者や家族の納得があってこそ、臓器移植も増えるのではないかということである。

 それゆえに、医療現場において客観的な基準が必要な脳死判定に対する医師のアバウトな理解と対応は、問題になる。著者は今回の事件でも、呼吸器を外された患者の中には「脳死」に至っていなかった人も含まれていたのではないかとの疑念を抱く。

 また、患者が納得するためには、患者や家族に対する医師の独善的なパターナリズム(家父長意識)を排除しなければならないと指摘する。例えば、医師から「回復の見込みがない」と断言されれば、それに反論するだけの知識を持ち合わせない患者の家族にとっては、医師の言葉を受け入れざるを得なくなる。

 臓器移植に尽力する人たちの努力を多とするが、こうした医療現場における改善を行った上で最後の一瞬まで尊厳ある生が守られてこそ「尊厳死」が成立する。医師に対する患者の信頼があってはじめて臓器移植への理解者もふえるのではないだろうか。

   ◇

 なかじま・みち ノンフィクション作家。『脳死と臓器移植法』など著書や訳書多数。

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