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書評

談志絶倒 昭和落語家伝 [著]立川談志 [写真]田島謹之助

[掲載]2007年10月28日
[評者]唐沢俊一(作家)

■良き昔を伝えた落語黄金時代の顔

 戦後の落語黄金時代は昭和26年に始まる。この年に、ラジオに初めて民放(東京ではラジオ東京・後のTBS)が誕生し、番組の目玉として落語の放送を始めた。これにより落語家たちの収入は格段に上向き、それまで貧乏を看板にしていた古今亭志ん生など各局で専属契約をめぐっての引き抜き合戦が行われるほどの売れっ子になった。また、昭和28年には初のホール落語「三越落語会」が発足、寄席ではなかなか出来ない人情ばなしなどをじっくり聞かせることが可能になり、そういうネタを得意とする三遊亭円生の評価が一躍高まった。

 この写真集には昭和29年から30年にかけて、つまり黄金時代初期に人気を博した落語家たちの高座姿が収められている。それらの写真にコメントをつけるのは当時前座として彼らに接し、また袖でその芸を聞いていた立川談志。

 戦後文化史を語る貴重な資料、というだけの本ではない。テレビ時代にわれわれが見慣れた顔よりも少しだけ若い(先代正蔵の精悍〈せいかん〉なこと、先代小さんの元気一杯なこと!)その顔には強烈なノスタルジーの香りがあり、彼らを語る談志も、その香りに準拠することを躊躇(ちゅうちょ)していない。自分が知る以前の各落語家の経歴なども、調べればわかるものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで語っている。調べて書いたものはノスタルジーの域を逸脱するというのだろう。

 落語を語る場合、その姿勢は正しい。近代の落語の型を作ったのは明治の三遊亭円朝だが、その創作の基礎には失われた江戸の情景への郷愁があった。近代落語は、その成立のファクターに、すでにノスタルジーが含まれているのである。この本に載っている九代目文治(翁家さん馬)や七代目円蔵は、私も寄席でよく聞いた人たちだが“昔はよかった”という話ばかりしていたものだ。

 今の落語家たちは、語ろうにも、語る“良き昔”を知らない。落語の歴史の中で初めて“現代”を語るしかない今の落語家の写真集が作られたなら、そこに載る顔にはどんな香りがあるのだろうか。

    ◇

 たてかわ・だんし 36年生まれ。落語家。

 たじま・きんのすけ 25年生まれ。写真家。

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