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書評

幻想の過去 20世紀の全体主義 [著]フランソワ・フュレ

[掲載]2007年10月28日
[評者]山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学)

■コミュニズムの幻想を詳細に批判

 著者フランソワ・フュレは、フランス革命史研究の大家。本書は10年前に他界した著者最晩年の作品である。

 フュレ以前のフランス革命研究は、唯物史観の支配下にあり、革命の本質は階級闘争に求められてきた。これに対してフュレは、自由主義革命としてのフランス革命という見方を打ち出し、革命の本質を政治的自由に求めて、パラダイム・シフトをもたらした。いわばフランス革命史研究の脱マルクス主義化を推し進めたのである。

 そのフュレが、コミュニズムを主題とする本書で強調するのは、ロシア革命が、まさにこの政治的自由という本質を欠いているがゆえに、フランス革命とは似て全く非なるものだということである。自由主義に対する敵意、議会制民主主義に対する侮蔑(ぶべつ)といった点で、コミュニズムは、むしろ最初からファシズムと同じ苗床から出てきたものなのだ。

 しかし他方で、ロシア革命がフランス革命の正統の相続者であるかのごとき威光をまとったことも事実であり、その威光はコミュニズムの暗黒面が周知となったのちも容易に消えなかった。なにゆえこの「幻想」はかくも強力だったのか。

 フランス革命は、進歩には革命が伴うという記憶を遺(のこ)した。コミュニズムはこの記憶をフル活用して人類の普遍的進歩の先導者を僭称(せんしょう)した。これを前提として、世界を革命と反革命に塗り分けるレトリックを駆使すると、幻想からの出口が消える。ナチズムのような絶対悪に反革命のラベルが貼(は)られたことで、コミュニズムを批判することは倫理的に困難になり、その普遍主義は独善の論理に転化した。

 本書でフュレは、この構図の反復をロシア革命の前史からフルシチョフ後にいたるまでの個々の状況のなかで詳細に分析している。達意の叙述に急(せ)き立てられるようにしてページを繰り、読後、我に返って気づかされるのは、世界の改造や社会の改革を叫ぶ普遍主義者が、「味方でなければ敵」というレトリックを振り回す状況が、決して「過去」ではないという、うすら寒い現実である。

    ◇

 楠瀬正浩訳/Fran(cにセディーユ付き)ois Furet 27年〜97年。仏・社会科学高等研究院長などを歴任。

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