ここから本文エリア

RSS

現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]渡辺政隆> 記事

書評

エレクトリックな科学革命 [著]D・ボダニス

[掲載]2007年10月28日
[評者]渡辺政隆(サイエンスライター)

■発明・発見の裏にはこんなドラマが

 科学と技術はちがうという意見は根強くある。だいいち、科学(この場合は特に基礎科学)は必ずしも実用を目指さないが、技術は役に立ってなんぼの世界じゃないかというのだ。しかし、それ以上の大きなちがいは、技術は理屈や原理がわからなくても役立つことなのではないか。それに対して科学の目的は、あくまでも原理の解明である。本書を読んでそう思った。

 たとえば、アメリカのジョセフ・ヘンリーは、電気を流したり切ったりすることで、電線の先につながれた電磁石をカチカチさせて信号を送る電信技術を世界で初めて発明した。

 モールス信号のモールスは知っているけど、ヘンリーなんて知らないなどと言うなかれ。ヘンリーは独学で研究を続け、プリンストン大学教授になったアメリカの偉人なのだ。モールスは、ヘンリーの発明を横取りしたにすぎない。そのヘンリーだが、電気はどうやって電線を伝わるのかという電信の原理は解明できなかった。それでも画期的な技術を開発できたのだ。

 ろう学校の教師だったベルが電話を発明できたのは、聴覚障害者だった恋人への一途な愛のおかげだった。そしてこの場合も、電信の原理が不明なことは、二人の愛の障害にも、発明の障害にもならなかった。

 それとは逆に、原理はわかっているのに、必要な技術がなかったせいで実現できなかった技術もある。たとえば、悲運の天才数学者チューリングが考えたコンピューターの原理がそうだ。アメリカで開発中だったトランジスタの存在を知っていれば、あるいは保守的なイギリスではなくアメリカに居場所を見つけていれば、チューリングが毒リンゴをかじることもなく、コンピューターの開発は早まっていたかもしれない。彼は、同性愛の罪で逮捕され、ホルモン治療を強いられたことを苦にして自殺してしまった。

 そのほか本書ではレーダー開発秘話や人の気分まで左右する神経伝達物質発見物語など、電気をめぐる科学技術者の悲喜こもごものドラマが練達の筆致で紹介されている。

    ◇

 吉田三知世訳/David Bodanis オックスフォード大で長年科学史を教える。

ここから広告です

広告終わり

このページのトップに戻る