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書評

犬身 [著]松浦理英子

[掲載]2007年11月04日
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

■大の犬好きが犬になってみたら…

 寡作で知られる松浦理英子の待望の新作である。『裏ヴァージョン』から7年、『親指Pの修業時代』から数えれば14年。もー長かったよ。だけど待っててよかったよ。

 こんなとき、犬だったらどうするだろうか。クウンと鼻を鳴らす?尻尾(しっぽ)をぱたぱた振る?本を舐(な)めたり甘噛(が)みするだろうか。『犬身』は、もしも自分が犬だったらと妄想させる小説なのだ。

 狗児(くじ)市で『犬の眼』というタウン誌の編集に携わっていた房恵は「種同一性障害」を自認するほどの犬好き。犬になりたい――その願望が現実となる日が来て、房恵は人間としての生活をたたみ、本当にふさふさとした毛の仔犬(こいぬ)になってしまった。しかもオス犬。名前はフサ。愛犬を亡くした女性陶芸家にひきとられ飼い犬らしく去勢手術をほどこされ、なでられたりじゃれついたり、至福の生活がいつまでも続く、はずだった。

 が、家政婦ならぬ飼い犬は見た!飼い主の女性一家の尋常ならざる家族の関係を、そしてあってはならぬ光景を見てしまったのである。ワンワンワンワンワンワン。

 『吾輩(わがはい)は猫である』以来、猫や犬を語り手にした小説は手をかえ品をかえ書かれてきた。だが『犬身』は、擬人化された犬ではなく、擬犬化された人の物語だといえるだろう。そこでの「犬」は人間社会の観察者という仕掛け以上の意味をもつ。身体は仔犬のフサ、頭脳は人間の房恵。であればこそ生じる、独特のおかしみともどかしさ。

 〈梓がフサの毛をまさぐれば、完全に受け身になって梓の愛撫(あいぶ)に浸りたくて、腹を上に向けてひっくり返り「もっと」と促す〉。性愛を超えたそんな犬と人との接触に対置されるのは、ときに支配/被支配に転じ、暴力にさえ転化する(鬼畜みたいな?)人の男女の性的な営みだ。

 房恵を犬に変えたニヒルな狼(おおかみ)人間・朱尾(あけお)がめちゃめちゃクール。彼とフサの間でかわされる批評的な会話が小説全体をひきしめる。『八犬伝』『ホテル・ニューハンプシャー』『実録鬼嫁日記』!?多彩な意匠を織り込んだビタースイートな変身譚(たん)である。

    ◇

 まつうら・りえこ 78年に文学界新人賞。94年『親指Pの修業時代』で女流文学賞。

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