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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]野口武彦> 記事 書評 アレクサンドルII世暗殺 上下 [著]E・ラジンスキー[掲載]2007年11月11日 ■解放者皇帝はなぜテロを招いたか 本作の著者ラジンスキーは、先にラスプーチンの評伝を書いて専門の歴史学者から批判を受けた時、「私は歴史家と名乗ったことは一度もありません。私は歴史について書く小説家なんです」と答えたそうだ。 一八八一年三月一日の午後二時十五分頃、ペテルブルグの運河沿いの道路を走ってきたロシア皇帝の馬車に爆弾が投じられた。狙いは外れて馬車は無事だった。しかし不可解なことには皇帝は馬車を降りて岸辺の道路を歩き出し、そこに二発目の爆弾が投げられて今度は皇帝の足を粉砕した。 この破局的なクライマックスから書き始められるアレクサンドル二世伝は、『皇帝ニコライ処刑』『赤いツァーリ』『真説ラスプーチン』に続く《ロシアの悲劇四部作》の完結編にあたるという。前三篇(ぺん)はどれも膨大な史料や関係者の証言を盛り込んで読者を飽かせなかったが、本作も期待を裏切らない。豊富な情報量で圧倒するばかりでなく、正史の足枷(あしかせ)にとらわれない奔放な想像力を武器に使い、歴史の暗い秘密にかぶせられたカーテンを大胆にめくって見せる。 後進国ロシアをヨーロッパの列に加えようと一八六一年に農奴解放を実施し、「解放者皇帝」と呼ばれたアレクサンドル二世が、なぜ全ロシア社会の反感を買ったのか。ロシアの自由化の成果が、ヨーロッパがかつて知らなかった強力なテロ集団の発生だったのはなぜか。著者はこれら一連の《謎》に導かれて書き進む。過去に向かって発されるこの問いかけは、著者自身が比定するように、ゴルバチョフの自由化がなぜクーデターで倒されたかという現代ロシアの問題と反響し合っている。驚くなかれ、「言論の自由(グラスノスチ)」「雪解け」の二語は、アレクサンドル二世の時代に初使用されたキーワードだったのである。 著者が解きほぐすのは、皇帝爆殺に至るシナリオを織りなす複数の糸である。不徹底な改革は、宮廷保守派の不満と「人民の中へ(ヴ・ナロード)」を叫ぶ革命思想の両勢力を同時に増殖した。政治的陰謀はロマノフ家の遺伝的な情欲で彩られ、高邁(こうまい)な理想主義が、その徹底性の故に容赦のないテロリズムに反転する。著者もさすがに断言は保留しているが、アレクサンドル二世を皇位から除くという一点では反動派と「人民の意志」派の利害関係が合致したと見られなくもない。計画が何度未遂に終わっても、最後の暗殺者は逮捕の網を逃れた。 狂言回しとして登場するドストエフスキーの死をめぐる推理が刺激的だ。この作家が『カラマーゾフの兄弟』の続編を予定し、アリョーシャが皇帝を暗殺する構想を立てていた話は有名だが、ラジンスキーは同じ家にテロリストが入居していた事実に注目する。文豪が死んだ日に、隣室の住人が逮捕連行されたのはたんなる偶然であろうか。 本作の魅力は、宮廷から地下生活者までを重層させる声部の豊かさだ。分厚い社会風俗の渦巻きを皇帝と二十四人の執行委員会の対決に絞り込む作劇術に引き込まれる。行間に「テロとの戦い」の行く末が、黙示録の暗号のように書き綴(つづ)られていないだろうか。 ◇ 望月哲男・久野康彦訳/Edvard Radzinski 36年生まれ。劇作家として活躍後、歴史ドキュメンタリー小説作家に。
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