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書評

日本橋バビロン [著]小林信彦

[掲載]2007年11月11日
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

■下町の変転を映す和菓子屋の三代記

 レトロだとかなんとかって東京の下町は、雑誌なんかにも特集記事が載る、いまや憧(あこが)れの対象だ。だけど私たちはほんとの下町を知らない。下町と聞いて日本橋をイメージする人も多くはないだろう。日本橋って安藤広重の東海道五十三次の? 橋の上には高速道路が走ってて三越と高島屋があって……。小林信彦が不機嫌になるはずである。

 『日本橋バビロン』の舞台は現在の中央区東日本橋。隅田川にかかる両国橋の西岸である。かつてこの一帯は、両国または西両国と呼ばれていた。そして、その一角に享保8年(1723年)から続く老舗(しにせ)の和菓子屋・立花屋本店はあった。本書はこの和菓子屋の八代目と九代目、さらに十代目になりそこねた少年の三代にわたる物語なのだ。

 叩(たた)き上げの製菓職人から立花屋に婿入りし、「お祖父(じい)さんは偉い人だった」とみながいう職人気質の八代目。自らオースティンを運転し、映画や演劇を好む趣味人だったがエンジニアになる夢を捨てて家業を継いだ九代目。二人の人生は東京下町の大正昭和の歴史そのものでもある。

 最初の試練はいわずと知れた関東大震災。日本橋区はことごとく焼失し、改装したばかりの立花屋も焼けた。2度目の試練はこれもいわずと知れた東京大空襲である。

 物語は九代目の長男である「私」の視点から町と一家の変転を丹念にたどってゆくのだが、これがまあ「ひとんちの話」であるというのに、えもいえずおもしろい。

 〈「信(のぶ)ちゃん、戦争が始まったよ」〉。少年は〈新聞一面の敵艦の沈む写真をじっくり眺め、大きな活字で戦果を確認〉するために菓子のショウケースの上を飛んだ。

 昭和の旧日本橋区を内側から書いた書物は一冊もない。だから書いたのだと著者は述べる。立花屋とはもちろん作者・小林信彦の生家なのだ。

 敗戦から40年たって、立花屋があった場所を訪れてみると……という結末が、すばらしい。おおおおおお。祖父の執念、あんこに宿り!

 私小説ではなく、とある商家と町の物語。雑誌の下町特集がバカらしく思えてくる。

    ◇

 こばやし・のぶひこ 32年生まれ。作家。『丘の一族』『うらなり』(菊池寛賞)など。

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