[掲載]2007年11月18日
■ひりひりと問いかける、「詩人とは」
「たった、これだけかあ」と心の中で問う声に、「いいじゃないか、これで」と応える詩人の姿から、この長編評伝小説は始まる。主人公は北村太郎。表題の「荒地(あれち)」は、彼が戦後間もない頃に仲間たちと創刊した同人誌の誌名でもある。
妻と子を水難事故で亡くした北村は、再婚をして、子どもたちも一人前に育ち、おだやかな日々を過ごしている。しかし、53歳のある日、北村はふと自問する。仲間たちに比べてあまりにも寡作なことへの「たった、これだけかあ」と、ささやかな家庭の幸福への「たった、これだけかあ」――二つのつぶやきに、「いいじゃないか、これで」と自答するのは、夫としての、父親としての、あるいは新聞社の勤勉な校閲部員としての北村太郎である。
その「いいじゃないか、これで」は、一人の女性との出会いによって粉々に砕け散ってしまう。北村は道ならぬ恋に落ちた。妻子を捨てて家を出た。しかも、奇(く)しくも最初の妻と同じ「明子」という名前を持つ恋の相手は、高校時代からの親友・田村隆一の四度目の妻だったのだ。
あらすじだけをとりあげれば、スキャンダラスな話である。北村と明子の恋の顛末(てんまつ)はもとより、酒仙詩人と謳(うた)われた田村隆一の言動もまた、世の常識や良識からは大きくはずれている。しかし、家庭という靴を脱ぎ捨て、素足で不倫の荒地を往(ゆ)く北村太郎には、言葉があった。家を出てからの北村は堰(せき)を切ったように詩を次々に発表し、高い評価を得る。一方で、妻を奪われた田村隆一もまた、どうしようもなく詩人だった。
著者のねじめ正一さんは、田村を〈殺し文句の詩人〉と呼ぶ。
〈殺し文句の詩人は女を殺すだけで愛さないのだった。(略)殺し文句の詩人が大切にしているのは言葉だけである。言葉に較(くら)べたら、自分すらどうでもいいのである〉
そして、家庭人としての日々をまっとうしているからこそ詩が書けなかった、明子と出会うまでの北村については――。
〈詩は道楽から生まれない〉
もはや作家のキャリアのほうが長くなったものの、ねじめさんはもともと詩人である。田村や北村が存命だった80年代には、過激な言葉を縦横無尽に繰り出して活躍をつづけていた。そんなねじめさんが書きあげた戦後詩の巨人たちの物語には、出口のない恋の行く末が描かれていながら、不思議と自由な風が吹いている。おなじみのユーモアをあえて後ろに退けて「詩人とはなにか」をひりひりするような切実な言葉で問いかけた物語は、だからこそ逆に、「自由とはなにか」「人生とはなにか」といった、伸びやかな普遍の主題を得たのかもしれない。
明子に翻弄(ほんろう)されどおしの北村の晩年が幸せだったのかどうかは、読者の判断にまかされるべきだろう。ただ、僕には物語の終わりに「いいじゃないか、これで」のつぶやきが確かに聞こえた。それは、紛れもなく、詩人・北村太郎の声だったのである
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ねじめ・しょういち 48年生まれ。詩人、作家、民芸店経営。詩集『ふ』でH氏賞、『高円寺純情商店街』で直木賞を受賞。
著者:ねじめ 正一
出版社:文藝春秋 価格:¥ 1,890
著者:ねじめ 正一
出版社:新潮社 価格:¥ 420
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