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書評

長きこの夜 [著]佐江衆一

[掲載]2007年11月18日
[評者]久田恵(ノンフィクション作家)

■迫る老い、語り尽くせぬ思いを胸に

 長い介護の末に母が逝ってしまい、この世に取り残されてベッドに横たわる父は九十路を越えた。その父の日々に寄り添いながら、私は私の老いに向かって、今、ゆっくりと歩いている。

 まだまだ長い道のりか、と思う。もうすぐ母の逝った場所の入り口に来ているかとも思う。それは定かではないのだけれど、私の中でいつのまにかあの世とこの世が地続きとなり、父が逝ってしまったら、後はとぼとぼとこの道を一人でいくのね、というような思いを抱くようになった。

 そんな心境にあるせいか佐江衆一の短編小説集『長きこの夜』に格別な親しみを覚えて読んだ。

 とくに〈仄暗(ほのぐら)い路地を亡父が歩いていた〉と胸の衝(つ)かれる一行で始まる冒頭の「風の舟」や橋の上で少年時代の父に出会う「橋の声」など、この世で迷い子になったかのような、心に残ることがあって戻ってきてしまったような、そんな亡き父との心の往還を描く作品が心に沁(し)みる。

 思えば、著者の老老介護の日々の壮絶さを赤裸々に描いた小説、『黄落』を読んだのは12年前のことだ。その頃は、こちらも母の介護を巡り、老父との確執に明け暮れていたので、著者の父に対する酷薄さが我がことのように胸に刺さった。

 その老父が97歳で満開の桜の日に逝き、以来、「長い人生の折々の姿」で、著者の眠れぬ夜に立ち現れ、彼と手を取り合って語り合うようになったとか。

 ほんとうに、逝ってしまう人たちは、みな、なぜかくも語り尽くせなかったものや悔恨ばかりを遺(のこ)していくのだろう、と思わずにいられない。

 本書には、他にも、地域で定年後を生きる男たちのとりとめもない日常や異性へのいっときの恋情など、老年の心境を描く作品7編が収められている。筆者の世代には慣れ親しんだ小説の文体に、しみじみとほっとさせられる。

 眠れぬ「長き夜」に、ふと忍び寄ってくる不安を癒やすには、熟練の作家の手になるこういった小説はなんとかけがえがないものなのだろう、と思われる。

    ◇

 さえ・しゅういち 34年生まれ。作家。『北の海明け』で新田次郎文学賞。

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