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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]唐沢俊一> 記事 書評 食通小説の記号学 [著]真銅正宏[掲載]2007年12月02日 ■「味覚」を他者に伝える困難と魅力 『食通小説の記号学』という何ともソッケない題名には、ある隠し味が潜んでいる。 つまり、“食”の味わいはそれを口にする個々の人間の味蕾(みらい)の鋭敏さだとか、育った文化環境などによって、同じ物を食べてもまったく異なる表現がなされる可能性を有するわけで、要するに味覚は極めて主体的で第三者に伝えにくい知覚と言えるだろう。ところが記号学という学問は、大ざっぱに言えば言語記号化という作業が事物や感情といった観念を、いかに客体化し得るか(つまり他者に提示し得るか)を扱うものだ。一見、水と油に見えて、記号学を応用するのに食の分野は極めて魅力的な対象なのである。双方に興味のある人なら、ニヤリとする題名だろう。 一方で、題名からシニフィエだのパロールだのといった堅苦しい記号学用語が並んでいることを予想して、そんな学術のコトバで食の魅力が語れるものか、と拒否反応を起こす読者もいるに違いない。しかし安心してほしい。著者は(少なくとも本文中には)一切、そういう“頭をよさそうに見せるためだけの”専門用語を使っていない。そこにあるのは、岡本かの子から織田作之助、谷崎潤一郎といった作家たちが、いかに美味の概念を読者に伝えようと苦心して文を練ってきたかという実例であり、その豊富なデータを列記することで、例えば日本人はビールに対し、その魅力は大いに語っても、味を具体的にほとんど表現していない、というような、興味深い事実も見えてくる。 さらに、今流行の料理のレシピ本にしても、それが成立するのは、文字というものに事象を伝えるシステム、「そもそもそれが指すもの、たとえばりんごという言葉がさすものが、大体のところは同質である、という前提」が出来た場合に限られるわけで、“それこそが記号学の基本中の基本なのだ”という指摘にひざを打つ読者も多いと思う。ここまで臭みのない記号学関係書も珍しい。図版も豊富で楽しいし、食文化史本としても面白い。食わず嫌いせず、まずはひと口味わってご覧なさいとお勧めする。 ◇ しんどう・まさひろ 同志社大教授。『小説の方法』『ベストセラーのゆくえ』など。
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