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書評

ビルマ商人の日本訪問記 [著]ウ・フラ

[掲載]2007年12月16日
[評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)

■生き生きと描かれた戦前日本の記録

 著者は、イギリスの植民地下にあったビルマ(現ミャンマー)の民族主義者の商人であった。英語を話せた彼は日本との貿易ルートを開拓するため、1936年夏に単身で日本を訪問するのである。

 進取の気性に富んだ彼からすると、経済活動に不熱心なビルマ人同胞の生き方は歯がゆくて仕方がない。ビルマ人は伝統的な生活を守ればいいという旧守的な姿勢で、装飾品には金をかけても商工業に投資することなく、海外に出て自らの進路を切り拓(ひら)くこともせず、貿易はインド人の手に委ねている。彼の訪問記では、そんな同胞の態度を叱咤(しった)する発奮材料として、賭け事をしないなど日本人の生活態度が称賛されている。そのためその日本像は理想化して描かれる傾向にあった。

 著者は日本を、自国から手が届く範囲の「模範国」と見ていたようだ。彼は自国経済の産業化の水準に見合った日本の工業に着目し、その製品と技術の輸入を目論(もくろ)むのである。彼は日本各地で繊維産業の工場やゴム草履の工場、自転車の輸出会社などを見て回り、足踏み式製縄機を購入して持ち帰っていた。

 なお彼の理想には、家父長的な一面もあった。たとえば彼は往来で日本人女性とぶつかった時、その女性が抗議しなかったのに驚いている。そしてもしビルマだったら女性から罵詈(ばり)雑言を浴びせられただろう、日本では女性の権利が弱いのでこんなにおとなしいのだと推測し、それを称賛しているのである。

 ただし彼は、日本の風俗への違和感も記している。日本人が裸体を人前にさらすのが平気であることや、舌足らずな物言い、「はい、はい」と言いながら相手の話をロクに聞いていない場合があることなどである。また入国審査時の係官による、不必要な詳しい質問にも反発を感じていたようだ。彼は同じアジア人として親近感を抱いていたが、日本人も「貪欲(どんよく)さ」では西欧人と同じで、日本を頼るのは危険だと考えていた。日本と自立した貿易関係を築こうとしたビルマ人の視点から、生き生きと描かれた戦前日本の記録といえよう。

    ◇

 土橋泰子訳/1900年生まれで、63年に死去。原書は39年に刊行された。

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