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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]野口武彦> 記事 書評 旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子のエスプリ日記 [著]深沢秋男[掲載]2007年12月16日 ■風俗から政治の裏面までリアルに 女性の日記文学は必ずしも平安時代の特産ではない。江戸幕府が改革か衰退かの選択を迫られた天保年間、女ざかりの日々の出来事を日記に綴(つづ)った旗本の妻がいた。 その名は井関隆子。江戸城で納戸組頭(なんどぐみがしら)を勤めていた井関親興(ちかおき)の後妻である。天保11年(1840)から同15年(1844)までの膨大な日記は、長らく桜山文庫に秘蔵されていたが、著者の35年にわたる努力で翻刻・研究され、『井関隆子日記』と名付けて世に知られるところとなった。そのサワリを紹介したのが本書である。 夫との間に子は生まれなかったが、隆子は旗本家の刀自(とじ)として一家をてきぱき取り仕切る。九段下の屋敷は庭が広く、種々の草木が植えられて四季折々の自然が楽しめる。田安御門も程近く、江戸城とは手頃な距離にあった。 義理の息子の親経(ちかつね)は広敷用人に出世した。広敷は大奥の受付にあたる部署であり、将軍家斉(いえなり)の公私の接点をなしている。孫の親賢(ちかかた)は世子家慶(いえよし)の小納戸(こなんど)(雑務係)を勤め、ここからも城内の情報が入ってくる。隆子日記の豊富なトピックはあちこちに張りめぐらされたアンテナ網から提供されていたのである。 本書の構成は、前半が江戸の花鳥風月、年中行事、社会風俗の絵巻である。心中事件や破戒僧に向けられるオバサン的好奇心も旺盛だ。後半それが一転して天保改革の話題に切り替わる呼吸がいい。 権力の座に就いた水野忠邦は、家斉の死を待ちかねたように荒療治に取りかかる。追放された旧政権の佞人(ねいじん)に殿中で誰も声を掛けなくなる雰囲気がリアルだ。果断な倹約政治に対してくすぶる不満の声もじわじわと伝わってくる。 忠邦の命運を賭けた上知令(あげちれい)が、それで不利益を蒙(こうむ)る大名・旗本のひそかな結束で葬られてゆく政治の裏面がよくわかる。隆子日記は、家斉薨去(こうきょ)の日付など幕府の公式発表と隠された真相との隙間(すきま)を埋める一級史料でもあるのだ。 隆子の文章にはしっかりした芯(論理性)が通っている。欲をいうなら、原文の達者な和文をもっと大胆に生かしてもよかったと思う。 ◇ ふかさわ・あきお 35年生まれ。元昭和女子大教授。著書に『井関隆子日記』など。
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