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書評

時代の目撃者 [著]ピーター・バーク

[掲載]2007年12月16日
[評者]山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学)

■歴史語る映像史料をどう読み解くか

 19世紀、歴史学が近代的学問へと脱皮する際、歴史家は出来事が実際に起こったときに遺(のこ)された文書を史料とすることで、自らが描く過去の像の真実性の証拠にしようとした。以来、複数の文書を照合し、書き手の立場や文書が書かれた状況を勘案して、史料から主観性を排除する手続きは発達をとげ(「史料批判」という)、それは今日でも歴史学の基礎技術となっている。

 しかしそこには弊害もあった。歴史には文書に残りやすい現実とそうではない現実があるからだ。文化史や社会史より政治史や軍事史が偏重され、文書を多く遺すひとびとの歴史が文書を遺さないひとびとの存在を闇へ追いやる。20世紀後半以降の歴史学の展開は、いかにこの文書中心主義の弊害を乗り越えるかの歴史であったといっても過言ではない。

 著者はこれまでも、地理学や人類学、社会学などの隣接の学問との接合によって、文書中心の歴史学の視界を広げる可能性を追求してきた。そして本書で俎上(そじょう)にのぼったのが、絵画や写真、映画のような視覚イメージの活用である。

 と、理論的背景はどちらかといえば玄人向けなのだが、これが読み始めると理屈抜きに面白いのなんの。どこかで見たような名画が、ひとたび史料として分析されるやたちまち雄弁に歴史を語りだし、一見現実離れした画像が当時のひとびとの世界観をリアルに表すかと思えば、写実そのものに見える映像が、背後に潜む偏見を露呈する。本書中の図版だけでも十分楽しめるが、言及された作品の画像をネットで検索しながら読むと楽しさ倍増。一週間は睡眠不足を覚悟されたい。

 著者の結論は明快。視覚イメージは文書と同様に史料として大いに役立つ。ただし、文書史料以上に慎重な史料批判が必要。要は画像も文書も時空を隔てた現実の再現媒体という点でひとしくメディアなのだ。その意味ではむしろ視覚史料と同様に慎重な史料批判が翻って文書史料にも求められるというべきか。本書が説く「史料批判」はメディア・リテラシーのレッスンでもある。

    ◇

 Eyewitnessing:The Use of Images as Historical Evidence

 諸川春樹訳/Peter Burke 37年生まれ。英・ケンブリッジ大教授。

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