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書評

ロリータ、ロリータ、ロリータ [著]若島正

[掲載]2007年12月16日
[評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■クールだが愛にあふれた読解

 文学の読み方に答えはないと言われるが、本当だろうか? 『ロリータ』の訳者・若島正氏は、少なくともナボコフの読解においては、読み方のルールさえ掴(つか)んでいれば一つの「正解」を得ることが可能だと言う。氏によれば、彼の作品は論理の美を結晶させ、詩と科学が接近したチェス・プロブレムのつくりによく似ている。

 未亡人の家に、ある絵が掛かっていたのはなぜか?

 作品内の時代には未公開のボクサー映画が引用されているのはなぜか? 「再読する以外に読む方法がない小説」として、『ロリータ』の内在作者の意図を著者は鮮やかに解き明かす。露、仏、独、伊、西、中、日の翻訳版『ロリータ』を読み比べ、各国訳者の戦略を浮き彫りにする九章は、鳥肌のたつ思いがした。

 情と知、主観と客観。文学はそれぞれの前者を、科学は後者を代表するものとすれば、本書の「読み」は圧倒的に後者寄りだ。そう書くと冷たく聞こえるかもしれない。しかし『アンナ・カレーニナ』で、マフに積もる霜に着目しそっと拾いあげてみせた評論家を例にとり、自分もそういう批評を目指したという若島氏の筆は、終始クールでありながら愛に溢(あふ)れている。

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