[掲載]2008年1月13日
■生まれ死んで還っていく「闇」の中へ
本書の題名は天地創造前の闇を表す聖書の「地は定形(かたち)なく、曠(むな)しくして、黒暗淵(やみわだ)の面にあり」から来ている。十二の連作において、男は己の始まりをたずね、たずねあぐねながら、記憶の内奥へと降りてゆく。建築の不正に与(くみ)し薄氷を踏む思いで生きる男、十年前の雨宿りで隣り合わせた老人の殺意に気づく男、追想の底が抜けて糸遊(いとゆう)の彼方(かなた)へ彷徨(さまよ)いでる男……。
人は、所々の辻で別れてきた己の分身といずれ出逢(であ)うというが、雨宿りの男もいつしか老人の背中にわが身を見るようになり、ふたりの眼(め)は入れ替わる。そして、本書の記憶の最深部には、幼くして見た東京空襲と焼け野原の光景が広がっているのだ。
表題作の語り手は、爆風による昏倒(こんとう)から覚めた瞬間、空に一匹の羽虫の飛んでゆくのを見た。家も親もなくした彼には、その時見た「白い宙」が己の太初(はじめ)となる。在と不在、生と滅を分かたぬ虚空。その混沌(こんとん)を聖書は「黒暗淵」と言い、古井氏は「白暗淵」と言う。が、無限の闇と涯(は)てなき白い覚醒(かくせい)は、畢竟(ひっきょう)、似るのではないか。死後への恐怖とは、意識が昏(くら)く途切れることではなく、それが白々と永劫(えいごう)に続くことだと言ったのは、流浪の作家ポール・ボウルズだった。文明社会の「失明」を『白の闇』という書に描いたのは、ポルトガルの作家サラマーゴだ。
古井氏は死後の意識という捉(とら)え得ぬものを捉えようとしてきた。「生前」という言葉は普通人が死んでから使うものだが、著者にとって生前は死の前に始まり、死は落命の刹那(せつな)を超えて継続する。「母は三十年前に死んだ」ではなく「もう三十年も死んでいる」と書くのはそのためだ。『野川』や『辻』などの前作で、死を外側からではなく逝った側から描く極に達した氏は、本書で、万象が生まれ死んで還(かえ)っていく原初の混沌を、「闇が闇の中に闇を産む」ように現出させんとする。
向こう側の暗淵を視(み)たいという人の思いはそれほどに苛烈(かれつ)だ。白明の闇、静寂の躁(さわ)ぎにその境を越そうとする者はうっすらと狂気を萌(きざ)す。戦(おのの)きつつ曳(ひ)かれていく私がいた。
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ふるい・よしきち 37年生まれ。芥川賞の『杳子(ようこ)』を始め、谷崎賞の『槿(あさがお)』ほか多数。
著者:古井 由吉
出版社:講談社 価格:¥ 2,310
著者:ジョゼ サラマーゴ
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著者:古井 由吉
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著者:古井 由吉
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著者:古井 由吉
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著者:古井 由吉
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