[掲載]2008年1月13日
■息づかい伝わる「疾駆する神話時代」
〈なぜぼくはものを書いているのだろうか?〉
若き日――まだ芥川賞を受賞する前の中上健次は、エッセー「犯罪者永山則夫からの報告」の中で、こう問いかけている。
〈新しい日本文学をつくるためか? そんなものは糞(くそ)だ、新しい日本の美をつくるためか? そんなことを言っているヤカラには、ションベンをのませよ、ぼくはみんなぶちこわしてやりたいのだ〉
荒ぶる一文である。いかにも中上健次らしい、と納得する読者も多いだろう。
ところが、本書『エレクトラ』の読了後にあらためて向き合うと、〈なぜぼくはものを書いているのだろうか?〉の響きが変わる。読者を挑発する問いは、自問のつぶやきでもあったのだと気づく。作家の熱に煽(あお)られてページを繰っていた手がふと止まる。〈ぶちこわしてやりたい〉対象は、作家の外にあるのか、内側にあるのか。やがて、文章の背後にたたずむ作家の姿が変わる。早世した現代文学の巨人が、繊細で、傷つきやすく、臆病(おくびょう)ですらある青年に戻っていく……。
高山文彦さんは、中上健次の生涯を描くにあたって、冒頭で宣言した。〈私がこれから書こうとしているのは、ひとりの文学志望の青年が、作家として目覚め、世の中に出てゆくまでの神話時代についてである〉――それは、中上健次が論じられるときに(少数の例外を除いては)不思議なほどすっぽりと抜け落ちていた時代でもある。
編集者との関係、同人誌仲間との交友、故郷や「家」への愛憎、そして焼失した幻の作品『エレクトラ』……。若き日の中上健次の姿を、高山さんは息づかいが聞こえるほどの臨場感で描く。16年前に亡くなった作家に、もう一度、神話時代を生き直させようとするかのように。
本書の帯に〈文学の獣が、叫び、泣き、疾駆する〉という惹句(じゃっく)がある。叫びながら、泣きながら、若き中上健次は「始まりの前」の日々を疾駆する。そのかたわらには、時代を超えた伴走者をつとめる高山さんの姿も、確かに見えるはずなのだ。
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たかやま・ふみひこ 58年生まれ。作家。『火花 北条民雄の生涯』で大宅賞など。
著者:高山 文彦
出版社:文藝春秋 価格:¥ 2,500
著者:高山 文彦
出版社:角川書店 価格:¥ 900
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