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書評

王様と大統領 サウジと米国、白熱の攻防 [著]レイチェル・ブロンソン

[掲載]2008年01月20日
[評者]酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)

■冷戦後の反米イスラーム台頭を解明

 英国の中東研究者フレッド・ハリディの名言がある。今の西アジアの政治的不安定は米ソ超大国が冷戦期に垂れ流した廃棄物に起因していて、ソ連からの廃棄物は兵器、米国からのは米が使い捨てた現地の反共ゲリラだ、と。

 冷戦期の米国の反共政策で大きな役割を果たしたのが、サウジアラビアだ。石油だけの関係ではない。米国以上に共産主義の浸透に危機感を抱いたサウジアラビアは、60〜70年代、米国にとって最も信頼でき、かつ自腹で反共工作活動のできる同胞だった。

 ソ連侵攻下のアフガニスタンで、サウジとパキスタンが共同してイスラーム教徒を各地から集め、反共ゲリラに養成したことは有名だが、60年代にはアフリカの共産化を防ぐため、アンゴラやソマリアに援助していた。ニカラグアの反共勢力にも金が流れた。

 サウジアラビアが世界中でイスラーム社会に資金援助し、宣教を始めたのは、エジプトなどのアラブ民族主義勢力に対抗してのことだった。60〜70年代、民族主義革命の波が広がる中東で孤軍奮闘するサウジのイスラーム化政策は、米国には「有益な利用価値」とみなされたのである。対イスラエル姿勢も、サウジ王政は意外に現実的だった。

 そのサウジ・米関係が、冷戦後に共通の敵を失ってぎくしゃくしたのは、必然だった。90年代のサウジの財政逼迫(ひっぱく)も、王政を追い詰める。

 だが、両国関係の齟齬(そご)を劇的な形で露呈したのは、9・11事件である。実行犯の多くやビン・ラディンがサウジ出身だったため、サウジのイスラーム保守性に対する警戒感が、米国のなかで高まった。

 本書は、米国がいかにサウジと協働してきたか、いかに反米イスラームが台頭し、サウジに支援された若者がアフガニスタンやボスニアに赴いたかを、解明する。今はイラクで「怒りに満ちた歴戦の勇士」となっているように。冷戦終結とイスラーム武闘派台頭の関係を論じた力作だ。

 冒頭、初代米国大使一行が国王謁見(えっけん)後に、アラビア服の裾(すそ)を踏んだ部下の上に折り重なってひっくり返った、とのエピソードが、実に象徴的。

    ◇

 佐藤陸雄訳/Rachel Bronson 米の外交・国際問題の研究者。

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