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書評

誠実という悪徳 E・H・カー1892−1982 [著]ジョナサン・ハスラム

[掲載]2008年01月20日
[評者]山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学)

■20世紀を生き、書いた歴史家の足跡

 本書は、外交官、そして歴史家として20世紀英国史におおきな足跡を残したE・H・カーの評伝である。

 おびただしい量のカーの作品のなかで、とりわけよく読まれている作品は二つ。ひとつは『危機の二十年』、いまひとつは『歴史とは何か』だ。前者は国際政治を学ぶ学生にとって、後者は歴史を学ぶ学生にとって、それぞれ今なお必読の古典である。

 もっとも古典には、定義上、その位置づけに定説があり、多くの古典読者は、その定説を確認するためだけに古典を読むことになってしまいがちである。『危機の二十年』になら、国際政治におけるリアリズムを、『歴史とは何か』になら、歴史を「過去と現在との対話」とする彼の有名な定義をみつけて安心してしまうのだ。本書第一の効用は、カーのリアリズムを彼の内なるユートピア主義との緊張関係に置きなおし、カーの歴史観の根底にある反相対主義の岩盤を提示することで、紋切り型のカー理解から一歩前に出るきっかけを読者に与えてくれることである。

 だが単なる作品解釈ではなく、評伝として書かれた本書の効用はそれだけではない。衰退するヘゲモニー国家の外交官からロシア/ソ連研究の第一人者となった彼の人生は、それ自体が、20世紀史あるいは冷戦史のひとつの意義深いピースである。彼が何を書いたかではなく、どのようにして書いたかを知ることが、とりわけ若い世代の読者にとっては、この時代を理解するうえで必要な歴史的想像力を提供してくれる。

 そして本書第三の効用は、カーという人物の脱神話化である。学者としての高い名声と超人的な仕事ぶりとは裏腹に、本書では、彼の社会生活や内面生活は灰色を基調に描かれている。カーの文体を特徴づける、真理を突く乾いた皮肉や辛辣(しんらつ)な批判の舌鋒(ぜっぽう)が、防衛的で孤独なパーソナリティーや他者との共感にとぼしい鈍感さと、ある程度まで表裏を成していることを知らされるとき、知的な誠実さということの意味に、深く思いをいたさざるをえない。けだし絶妙のタイトルである。

    ◇

 角田史幸・川口良・中島理暁訳/Jonathan Haslam 英・ケンブリッジ大教授。

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