[掲載]2008年1月27日
■情報を自ら演出して生まれた面白さ
テレビカメラは、出来事を必ずしもそのままに、情報として伝えているのではない。他人事(ひとごと)のように、客観性を装ってはいるが、そこには演出された「現場の雰囲気」が含まれている。だからこそ私たちはテレビ番組を「面白い」と感じるのではないか。
この「情報」と「演出」の間を埋める「テレビ的」とでも呼ぶしかない自立した世界を、著者たちは「自作自演」というキーワードで説明する。70年代、私たちの心中に、その種の放送を受け入れる感性が生まれた。そして80年代以降、意図的に、過剰な「自作自演」の遊戯が画面で展開されることが日常となった。
本書は、70年代の人気番組やCMを取りあげ、分析を加える。たとえば「欽ちゃんのどこまでやるの!」では、ごく普通の茶の間をセットとしてつくり、出演者がテレビドラマのパロディーを見るという設定で番組が進行した。また「夜のヒットスタジオ」では、スタジオの後方で歌手たちが控える様子をわざと放映、彼らの自然な表情が何の作為も演出もなく、ブラウン管に映し出されていた。
それは「情報」でもない。しかし、今日のバラエティー番組ほどに娯楽性豊かな「演出」でもない。まだ無自覚に、また無批判に「自作自演」の世界が展開されていた。それはテレビという媒体が本質として持つ「面白さ」だ。
著者の1人は、「発掘!あるある大事典2」の「データ捏造(ねつぞう)事件」について、取材ビデオの「情報」と、バラエティー番組としての「演出」との間に亀裂があったとみる。食材の効用やダイエットの効果を科学的に実証する映像と、スタジオでタレントたちが展開するトークとが完全に分断され、「自作自演」の妙味が欠落した。視聴率を稼ぐには、巷(ちまた)で話題となるような「情報」を、毎週、探しだして提供できるかどうかにかかってくる。結果、担当者は捏造に走ったのではないか。納得できる分析である。
テレビとはいかなる存在なのか。普遍的なテレビ論を展開するうえで、まず手にするべき論集である。
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はせ・まさと 59年生まれ、早稲田大学文学学術院教授/おおた・しょういち 60年生まれ。社会学者。
著者:長谷 正人
出版社:青弓社 価格:¥ 2,520
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