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書評

ついこの間あった昔 [著]林望

[掲載]2008年02月03日
[評者]唐沢俊一(作家)

■昭和の写真に浮かぶ暮らしの原型

 ノスタルジーは危険な感覚である。子供のとき聞いた歌謡曲の文句はああだった、いやそうじゃないという、たわいもないことでいい年をしたサラリーマン同士が酒場で口論しているのを見たことがあるが、普段は温厚な人であっても、こと自分の記憶の中の領域を侵されると、急に感情的になったりする。

 これほどノスタルジーがブームになっているのは、ひとつには脳のメカニズムが、過去の記憶を、自分にとって美化された、心地よい性質のものに変成してしまうからでもある。実際に記録された映像を見てみると、記憶との落差に愕然(がくぜん)とするものだ。大ヒットした映画のおかげで昭和30年代を理想の時代のように言う人が多いが、あの時代が日本における少年犯罪の一つのピークだったことを覚えている人がどれくらいいるか。

 本書は戦前から昭和40年代初期の日本人の生活写真(弘文堂『写真でみる日本生活図引』からのもの)に、林望氏が文章を添えたものである。ここに記録された写真の多くは、現在のブームに乗った“古き良き過去”のつもりで見るといささかショッキングかもしれない。そこには美化された記憶から脱落している「貧しさ」「汚さ」「垢抜(あかぬ)けなさ」が露呈した過去がある。ことに、173ページの、胸乳(むなち)をはだけたままお客に茶を出している老婦人の図や、180ページの混浴の湯治場の図には、言葉は悪いが、日本というのはこんなに“野蛮な”国だったのか、という感想すらわきかねない。しかし、じっとそれらの図を眺め、経済成長期への安直なあこがれのような、流行の裏にあるものに向き合う感覚で見つめていると、そこには現在の自分とダイレクトにつながっている、日本人の暮らしの原型(アーキタイプ)が見えてくる。“自分探し”をしたいなら、スピリチュアルな本などよりも本書を読んだ方がずっと効果的ですよ、と宣伝したい。

 ちなみにいえば、林氏の文章の“頑是(がんぜ)ない”“寸地をだに得れば”“〜をば”などという表現にも写真以上のノスタルジーを感じてしまった。この本にしてこの文あり。

    ◇

 はやし・のぞむ 49年生まれ。作家・書誌学者。著書に『イギリスはおいしい』など。

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