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書評

国際立憲主義の時代 [著]最上敏樹

[掲載]2008年02月03日
[評者]酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)

■国際機構再生への道筋を考える

 ジョン・レノンの「イマジン」に触発されて国際機構を目指した人は、少なくないだろう。国家を超えた自由で平等な世界市民、という理想に向けて、国連は夢への第一歩と見えた時代があった。

 それが、どうだ。国連は紛争の制止に役立たないどころか、大国の道具に成り下がったかのような現実がある。国際法などあってなきがごとし、との現実を前提に、カール・シュミット式リアリズムこそが、大人の常識とみなされる今の風潮。違法でも正統であればよし、とする声。

 現在進行する「なりふりかまわぬ国際法無視」を批判し国際法の立憲化を主張するのが、本書である。その根源には、9・11以降の米国の、「イチジクの葉」を「かなぐり捨て」て、国連を無視してきたことへの、深刻な危惧(きぐ)がある。著者はイラク戦争に批判的な姿勢を積極的に発言してきたが、国際法学者としての視点、論立ては、ただ心情的な大国批判や反戦を超えた、骨太の議論である。

 著者は、大国の国連独占と法の無視が横行する現状にあっても、武力不行使を掲げた国連憲章第2条4項に死亡宣告を下すのは時期尚早だとし、国際機構の思想的存在意義を再確認する。

 そこで重要なのは、国際機構が集権的になることは不可避なのか、という問いだ。国際的次元での自由主義がホッブズ的自然状態を意味することを考えれば、国際機構はその自由主義を統御する志向を内包せざるを得ず、そのために「権力創造の志向」が国際機構に入りこむ。また、国内的には国権至上主義を取りながら国際的には国家間の民主主義を要求する、非民主的な国が現れる。

 こうした矛盾を乗り越えるために、国家を取り除いてみる。主権を信託する先を国家ではなく、人民、個人におくことができるのではないか。人間の生存権への侵害に対して無国籍的に救済する国際的NGOの姿に、国連の将来の方向性を見ることも可能だ。

 ジョンがイマジンと言ったことが、学問的、法的、制度的に精緻(せいち)な議論になって、ここに展開されている。

    ◇

 もがみ・としき 50年生まれ。国際基督教大学教授。『いま平和とは』ほか。

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