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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]香山リカ> 記事 書評 死刑―人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う [著]森達也[掲載]2008年02月10日 ■廃止か存続か、曖昧でよいのか あなたは、知らないうちに死刑について考える権利を奪われている。それを知っているか、と本書は問う。 もちろん、日本の極刑は「死刑」ということを知らない人は、まずいないだろう。少しでも社会問題に関心がある人ならば、世界的な流れで見ると死刑は廃止の方向に向かっており、いまや先進国ではアメリカと日本だけが例外的にこれを実施している、ということも知っているはずだ。韓国も昨年末から「事実上の死刑廃止国」となった。 しかし実際には日本の死刑判決は増加しており、世論調査で「死刑もやむを得ない」と答える人は8割を超えている。これも事実だ。 この8割の中には、自分なりにいろいろ考えた結果、存置という回答にたどり着いた、という人もいるだろう。一方、曖昧(あいまい)な気持ちのまま、「どちらかといえば」と手を挙げている人もいるに違いないが、死刑は執行されるか、されないかの二者択一で、「ほどほどに」といった曖昧さの入り込む余地はない制度だ。その厄介さのゆえ、多くの人はそれ以上、突き詰めて考えるのをやめようとする。そもそも、死刑をめぐる情報はきわめて少なく、考えようにもその材料はほとんどないのだ。 著者もまた、どこか曖昧な気持ちを引きずりながら、死刑について考える旅に出る。ドキュメンタリー映画を作るときと同じ手法で、著者は死刑判決を待つオウム実行犯、冤罪が明らかになって解放された元死刑囚から死刑執行に立ち会った元刑務官や弁護士、政治家、死刑をテーマに作品を描くマンガ家と、さまざまな立場、職種の関係者に取材し、ベールの向こうにある死刑を浮き彫りにしようとする。 しかし、取材を重ねれば重ねるほど、著者は死刑が「見せる側は隠すし、見る側は視線を逸(そ)らす」という不可視の領域に位置していることを痛感させられる。たとえば、確定死刑囚は、「心情の安定を保つため」という説明のもときわめて制限された生活を送っているのだが、「色鉛筆は赤・青のみ」といった規則の根拠は誰にもわからない。拘置所や刑務所にある執行場は、完全な非公開だ。私たちは、加害者、被害者あるいはその遺族という“例外的な立場”となってかかわらざるをえなくなる場合を除いては、死刑については考えずにいるのが最も賢明な選択、という状況に知らないうちに置かれているのだ。 著者は、国民の誰もがこの国家の制度を支えている限り、死刑制度にも無関係ではないはずという立場で、3年以上にわたって綿密な取材と考察を続ける。そして、その不可視の領域にもかなり接近するのだが、存続か廃止かの決め手になるような論理は構築することができない。最終的には、ごく私的な感情に立ち返って廃止という自らの意思を確認し、著者の旅は静かに終わる。声高な存置論、廃止論ではないだけに、「僕は人に絶望したくない」という著者の声が、いつまでも胸に残る。 ◇ もり・たつや 56年生まれ、映画監督、作家。オウム真理教に迫った映画「A」「A2」で知られる。著書に『放送禁止歌』など。
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