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書評

Y氏の終わり [著]スカーレット・トマス

[掲載]2008年02月17日
[評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■理論をちりばめ、魔書の謎を追う

 謎の禁断の書が登場したり、一冊の書物が人の生殺与奪に与(あずか)るといった“ミステリー”には、ひねりのある名作が多い。エーコの『薔薇(ばら)の名前』、フィシュテルの『私家版』、ダニングの「古書店探偵」シリーズ、サフォンの『風の影』……。物語の合間に書きこまれる本や文学に関するうんちくもお愉(たの)しみのうちである。

 『Y氏の終わり』は、魔書をめぐる不思議な小説だ。ヒロインのアリエルはもともとデリダを専攻していたという哲学好きの雑誌記者。取材の一環として、サミュエル・バトラー、ダーウィン、シュレーディンガー、アインシュタインなどの仕事に接するうちに「思考実験」に惹(ひ)かれ、いまはそれをテーマに博士論文を書こうとしている。研究対象に選んだ19世紀の作家トマス・E・ルーマスの「Y氏の終わり」なる小説は、作者本人はもとより、本の関係者が悉(ことごと)く死んでしまったという呪われた書だった。あまつさえ彼女の担当教授までが失踪(しっそう)。アリエルはある薬によって、他人の心に入りこめるようになるが、この本を狙う男たちに追われることに……。

 いかにも実在しそうなマイナー作家ルーマスの怪しさが抜群にいい。ヒロインの恋模様をはさみこむサービスもたっぷりだ。宇宙物理学、量子力学、進化生物学、神学、哲学――ビッグバン理論、シュレーディンガーの猫と多世界解釈、LUCA(全生物共通祖先)、デリダの差延の概念――さまざまな学(サイエンス)と理論が賑(にぎ)やかに引用されるが、それらに閃(ひらめ)きを得て、アリエルたちが解き明かそうとするのは、いまここに自分たちが存在することの謎だ。当然ながら、本当のミステリーはこの部分にある。

 科学・哲学理論の数々をストーリー展開と絡めていく力業はまさにみごと。作者の用意してくれた鮮やかなラインを追っていくだけでも楽しいが、ここに、読者自身にも思考実験を課すような、人を食ったところがもっとあれば、さらに刺激的だったと思う。よくある「自分探しの物語」とはひと味もふた味も違う労作だ。

    ◇

 田中一江訳/Scarlett Thomas 72年、英ロンドン生まれ。作家。

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