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書肆アクセスという本屋があった―神保町すずらん通り1976―2007 [編]岡崎武志、柴田信、安倍甲

[掲載]2008年2月17日

  • [評者]重松清(作家)

■ふらりと立ち寄る本屋さんのように

 書肆(しょし)アクセスとは、編者の一人・岡崎武志さんの言葉を借りれば〈大手の新刊書店ではなかなか目に触れない、地方や小出版社の本、そして多くのミニコミを扱ってきた〉書店である。出版の東京一極集中が進むなか〈地方からの微力な電波を受け止め、発信する役目〉を負い、〈十坪という狭い空間に約6700点もの本や雑誌たちの主張や心意気が充満していた〉。

 そんな書肆アクセスが、昨年11月に閉店した。本書はそれを惜しむひとたちが、本を出す側として、あるいは読者や同業の書店員として、それぞれの立場から思い出を振り返り、惜別の辞をつづった寄稿集――いわば、身内の〈心意気〉に満ちた一冊である(本書の制作にあたっては、カンパによる基金もつくられたという)。

 この種の本はアットホームな温(ぬく)もりがある一方で、往々にして部外者には立ち入りづらさも感じさせてしまうものなのだが、本書は違う。ふらりと立ち寄ることのできる町の本屋さんさながら、いちげんさんにも開かれている。じつを言うと書肆アクセスには数えるほどしか入ったことのない僕が、センエツを承知でこの一文を書いている所以(ゆえん)も、そこだ。

 本書の中に、こんな一節がある。〈書肆アクセスという小さな場所の大きさと頼もしさ〉――神保町や書肆アクセスという固有名詞をはずし、書店というくくりをもあえてはずして振り返ってみると、居酒屋でもレコード店でも文房具店でもいい、「私たちの町」にもそういうお店はあるはずで、あったはずなのだ。

 本書につどう書き手の〈心意気〉は、一軒の小さな書店を語りながら、「地方」や「個」が切り捨てられる時代に対する寂しさとやりきれなさ、そして静かな怒りにも、確かにつながっている。それは「書肆アクセスという本屋があったことも知らない」世代が増えるにつれて、いっそう重く響いてくるだろう。

 その意味でも、本書は決して内輪話や古き良き時代への郷愁で閉ざされてはいない。地方在住の若い世代にこそ読んでもらいたい、と思う。

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