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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]北田暁大> 記事 書評 希望の政治学―テロルか偽善か [著]布施哲[掲載]2008年02月17日 ■政治の欺瞞性をシニカルでなく追求 9・11以降の世界を生きる私たちは、民主主義とか人権といった言葉に、ある種の欺瞞(ぎまん)を嗅(か)ぎつけることがある。民主主義という錦の御旗の下に戦争が展開され、人権の名の下に文化的差異が看過される……政治的な言葉に対する批判は、思想的立場を違える様々な論者から提示されている。政治の言葉への不信が広まりつつある中、ある人は民主主義などの欺瞞性を暴くことに使命を感じるかもしれないし、またある人は「欺瞞であってもあえてコミットする」という姿勢をみせるかもしれない。あくなき欺瞞の暴露とシニカルなコミットメント。しかし私たちにはその二つの道しか残されていないのだろうか。 本書は、政治的な言葉の「偽善性」を徹底的に探究することによって、安易な暴露主義を回避し、さらにはシニカルでない形で政治的な言葉にアクチュアルな意味と力を見いだそうとする試みである。政治的な言葉が「一定の歴史的・文化的条件や制約のもとにありながら、にもかかわらず、なにゆえ現在にいたってもなお普遍性の表象として機能し得るのか」。 この根底的な問いに答えるべく、民主主義や主権をめぐる古典的な政治理論が検討され、また政治的なるものに固有のあり方を模索すべく、丸山真男、ロールズ、ラクラウ、ジジェクらの議論が俎上(そじょう)にのせられる。政治の言葉は「積極的・具体的な意味内容や指示対象を失ってゆくがゆえに……われわれ人間社会の現実を受け入れるための、いわば政治的枠組み」としての機能をはたす。政治的な言葉の問題性を十分に認識しつつも、シニカルになることなく、政治的なるものの複雑さを踏まえながら、希望への途を正確に見据えていく。序論、第1部で展開されるテロルや敵対性についての考察にも、そうした著者の粘り強い思考が十分に映し出されている。 楽観的でない希望とシニカルでない論(倫)理をいかに追求するか。本書が差し出す問いは、理論的であると同時に、あるいはそうであるがゆえに切実なものといえる。 ◇ ふせ・さとし 64年生まれ。名古屋大学准教授。現代政治理論。
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