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書評

クレーメル青春譜―二つの世界のあいだで [著]ギドン・クレーメル

[掲載]2008年02月24日
[評者]香山リカ(精神科医、帝塚山学院大学教授)

■旧ソ連と闘い続けた音楽家の苦悩

 クラシックを少しでも聴く人なら、バイオリンの巨匠クレーメルの名前は知っているはずだ。しかし、ラトビア出身でモスクワで教育を受けたクレーメルが、旧ソ連の体制と闘い続け、亡命ではなくて「ソ連人のまま自由に出入国する権利」を勝ち取って西側に移ったことを知る人は、少ないだろう。

 本書はクレーメルの若き日をつづった自伝なのだが、音楽の話以上にソ連社会の徹底的な管理主義と腐敗について多くが割かれている。海外のコンクールや演奏会に出演するときも、当局から送られた通訳が「影」のようにつきまとい、西側の人たちの接触を阻止しようとする。優秀な芸術家は、国威を誇り外貨を獲得するための「死せる魂」でしかなく、報酬もスケジュールもすべて当局が決定した。こういった状況を「不条理」「弾圧」と感じていたクレーメルの言動を党の中央委員会は極秘裏に調べ上げ、忠告する。「注意なさい! 自分ですべてを台無しにしないように」

 スパイ小説さながらの攻防、かけ引きを経て、結果的にクレーメルは自由を手に入れて名声を不動のものにする。しかしその後、彼は、ソ連に残って当局から弾圧され続けているシュニトケら新しい作曲家たちの作品を西側に紹介する、という役割も果たした。その上、恋愛にもかなり積極的。芸術的でかつ政治的、そして抑圧されている他者のための努力も惜しまない。クレーメルの精神の自由さやエネルギーには驚かされるばかりだ。

 クレーメルは、長い弾圧や抑圧の下、旧ソ連国民には反抗と追従が混じった独特の内的な空虚さが植えつけられている、と感じる。とくに音楽家たちは、それにエリート意識が混じった「ムジクス・ソヴィエティクス」なる“珍しい種族”と皮肉交じりに言うクレーメルだが、本人も「自分はこのイメージをすっかり克服できたのか」と強迫的に自問し続けている。彼ですらまだその悪夢から抜け出せていないソ連とは、いったい何だったのか。改めて考えさせられる。

    ◇

 Zwischen Welten 臼井伸二訳、Gidon Kremer 47年生まれ。バイオリニスト。

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