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書評

サムライの書斎―江戸武家文人列伝 [著]井上泰至

[掲載]2008年02月24日
[評者]野口武彦(文芸評論家)

■太平の世に「サムライ達の物語群」

 江戸文学は町人文学だという通念が固定してから長い歳月が経(た)っている。古典文学全集でも文学史でも、わざわざ設けた別枠で客分として扱われる状態が続いていた。

 しかし、この時代に支配層の地位を占めていた武士に見るべき文業がなかったということはあり得ない。存在しないのではなく、見落としていたのではないか。本書は、江戸文学研究の《空白域》に進んで鍬(くわ)を入れた意欲的な評伝八篇(へん)の集成である。

 主たる対象に選ばれるのは「戦前の有朋堂文庫には入っても、戦後の岩波古典文学大系には入らなかった」近世の軍記や武将評判などの著述である。たとえば軍学者植木悦(えつ)の『慶長軍記』、旗本小林正甫(まさとし)の『織田軍記』、福岡藩士宮川忍斎の『一谷報讐記(いちがやほうしゅうき)』、幕末志士岡谷繁実(おかのやしげざね)の『名将言行録』等々の作品。

 著者は、江戸時代に大量に生産された軍記・武将伝の類(たぐい)を一括して「サムライ達(たち)の物語群」と呼んでいる。太平の時代に官僚化した武士も、いざという場合に出処進退を潔くすべしという理念から逃れられない。数々の武家説話は、そうした当為規範と自己規定の根元を絶えずリニューアルする精神的な需要に応じる作品と捉(とら)えられる。

 ただし、それら戦場の「物語」は、更新する側の時点と立場によって個別に修正・増補・歪曲(わいきょく)・捏造(ねつぞう)・秘匿といった編集が加わるのは避けられない。関ケ原合戦や赤穂事件のような微妙な話題には適宜オブラートをかぶせたり、創作した先祖の武勲をこっそり忍び込ませたりして、自己の「物語」を重層させる。

 そのダイナミックな過程をたどる方法は手堅いし、またその一方で、ストーリーテリングに教訓や政治論が混入する雑種性が現代における司馬遼太郎文学の系譜に通じていると見通す構図は斬新だ。

 主人公たちの多くは、太平無事の世に軍事を語る武士だった。その生き方自体のアイロニーがもっと持ち味に出せたらと思う。『折たく柴の記』で語られる新井白石の「下半身」は、折り目正しい裃(かみしも)を脱がせきれず、まだ上半身だという気がしなくもない。

    ◇

 いのうえ・やすし 61年生まれ。防衛大学校准教授。著書に『雨月物語論』など。

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