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書評

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」 [著]戸井十月

[掲載]2008年02月24日
[評者]唐沢俊一(作家)

■昭和を元気づけたスーダラ男に学ぶ

 ……困った本を読んでしまった。つまらないのではない。きわめて面白い本なのだが、副作用がある。この本で語られている昭和という時代の魅力の反動で、自分がいま生きている現代が、何となく索漠として見えてくるのだ。

 お前はノスタルジー系の本ばかり読んでいるからそうなのだ、と言われるかもしれない。しかし、読んでいて、たとえばこういう一節に出会うと、その通り! と、膝(ひざ)を打たざるを得ないではないか。「昔の話を年寄りから聞く時、いつも思ってしまう。どうして、登場人物の殆(ほとん)どが綺羅星(きらぼし)の如(ごと)く個性豊かなのだろうかと。奇人変人がぞろぞろ出てきて、一人一人パワフルに輝いている」

 2007年に亡くなった植木等の聞き書きからなる本書には、まさに、輝くばかりの才能と個性にあふれた当時の奇人たちのエピソードが目白押しだ。バンドマスターなのに、ある日突然メンバーに、“辞めさせていただきます”と言っていなくなってしまった萩原哲晶(はぎわら・ひろあき)、所属タレントの給料を払うためポーカーをやって稼いでいた渡邊晋(わたなべ・しん)、飼っているオオコウモリの小便する姿を見せるためだけに仲間を家に呼んだ谷啓……。

 そういう奇人たちの中心で最も大きく輝いていたスターである植木本人は、酒も飲めず、大ヒットした「スーダラ節」を、“こんな歌がヒットするようじゃ日本はおしまいだ”と本気で思っていたというまじめ人間であることがまたおかしい。もちろん、舞台の本番中に3階席の観客と会話してしまって演出の菊田一夫を激怒させるC調さも十分持ち合わせているのだが。

 ヒット曲「だまって俺(おれ)について来い」の“そのうちなんとかなるだろう”という無責任な歌詞は植木があの底抜けの陽気さで歌ったとき、昭和の日本人を大きく元気づける文句となった。平成にも無責任な言は多いが、どこかスケールが小さく姑息(こそく)である。その差は何なのか。過去を語った本を読む意義は、“いま”をもう一度考えなおすその手がかりを、過去から得るところにある。素直な気持ちで植木等に学んでみたい。

    ◇

 とい・じゅうがつ 48年生まれ。作家・映像ディレクター。著書に『越境記』など。

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